八千代のタバコ農家

土々呂の滝への入口にあるタバコ農家。

(徳島県つるぎ町半田日開野)

7月末の暑い日。昼過ぎから県西のほうへ涼みがてら滝を見に行くことにした。まず三野町のもみじ温泉の裏山にある龍頭の滝へ。滝って、別にマイナスイオンがどうのとは思わないけれど、空気が洗われている感じがして清々しい気分になる。そのまま返す刀で、半田の土々呂の滝へ行ってみることにした。土々呂の滝は2年前に一度訪れているけれど、ちょっと写真が足りていなかったので追加撮影の意味もあった。

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ところが半田川をさかのぼって、日開野(ひがいの)という集落を通っているときに道端にタバコ畑があることに気付いた。

タバコ畑はこれまでも土成や上板あたりでよく見てきたが、なんとなく様子が違う。葉の色が濃い感じがするのだ。

これがもしかして、徳島の山奥でのみ残っているという「阿波葉(あわは)」なのか?

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タバコ農家は庭に葉が干してあるのですぐにわかった。

西原さんというお宅で、たまたまお父さんが外に出ておられたので、話を聞くことにした。

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「これが阿波葉じゃ。でもほったらかしやな。むかし、戦争当時の食料のないときの、なによ、私の里は2町3反の農地もっとったきに、食料には不自由せなんだけど、商人の人やは配給、割り当てでな、そういうんか見よったら農地を荒らしたらいかんとゆうんでタバコを作りよん」

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この場所の背後の山はいわゆるソラの集落で傾斜地だ。半田川の県道沿いで南向きの平坦な耕地というとかなり限られる。先祖がこの土地を手に入れて、ずっと耕作してきた農地を荒らしてはいけないという気持ちが強いのだろう。

「来年と再来年としたら阿波葉は()まる、無しんなる。いま、阿波葉というのも徳島県下に16軒あがないよな。貞光はスッコロゲに1軒と私のとこと、そのカゲに1軒、美馬町に2軒と、穴吹に7軒、池田の三好町に3軒と...。ウチは10アールで最低や、これ以下はいかんやげな。もううちらは名義を持っとるというだけやな」

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これが阿波葉の乾燥の様子。「連干(れんぼ)し」という干しかた。

タバコはJT(日本たばこ産業)から委託で生産するが、最低の契約面積が10アールらしい。いまJTでは阿波葉の生産を中止することを検討していて、あと2年しか生産できないという。阿波葉をやめたからといって、山間地で黄色種に転作できるわけではないという。

「黄色種はここではできん、農地がようけいる。あれは火い焚かないかんけんな。阿波葉はお日さんで乾かす」

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阿波葉と黄色種は1株当りの収量、売上げはあまりかわらないという。

「黄色種は枚数が少なく葉が厚い、阿波葉は葉が薄い。黄色種は1反に2600本くらい植える、阿波葉は昔は4800本植えた、いまはもう4000本くらいしか植えんけんど。風通しをよくして葉肉をつける、作る人も楽なんでな。私は美馬町から来とんで(仕事で来て婿入りした)、来たら作りょっとったけんな、もう何百年も前からあった。私たちはは80年くらいだな作ったって、でももうみんなやめてしもうた」

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黄色種は収穫した葉を熱乾燥して短時間で加工するが、阿波葉は自然乾燥になる。

「掻いてきて、吊って15日か20日、そいでから室内に入れて、下は葉が薄いけん、早いんな、20日くらいできれいに乾きよん。厚くなってきたら40日くらいかかるん。葉が乾くのは9月上旬。それから縄にかけてあるんを抜いて色を上げなあかん。むかしはようけ作っとるウチには乾燥室があった」

阿波葉農家では乾燥室は必須というわけではないようだ。もちろん下屋や乾燥のための庭は必要だが。

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収穫してからの作業時間が長いのも阿波葉の特徴。

「それから出荷するんが11月20日ごろに出荷するん。それを高松にもっていくん、中四国、岡山からみんな高松に行くん。

いまは日通がもっていく。昔は個人で人を雇ってな、土成に持っていったけど、運賃はキロ15円だった、1トン持っていったら1万5千円よ、ええ運賃になるでな。ほなけど高松になったら、(JTが手配するようになったから)個人の運送会社には入らん」

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「昔は雨がふれば大蓋(おおぶた)(徳島農家の主屋の周囲のひさし)の下にいれて、帆布を買うてきて上から当てとった。いまはビニールの屋根を張っとるけんな。昔は菰をのせて直射日光があたらんようにしとった。

この向かい(川の対岸の)3人は優秀だったんだ。もうやめたけどな、ええタバコ作りよった。やっぱり土質が違うんだな」

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乾燥させるのには直射日光を当てないようにし、乾き具合の調整が毎日必要になる。まだ水分の多い葉には覆いをかぶせていた。

「これはな『ねだす』っていってな、日に当てたらシワシワならんで赤くならんきな、そのままんなって(緑色のまま乾いて)、等級がわるになる。掻いたやつを半時間か1時間くらい日に置いといたらしおれるやろ、ほいであれで包んでおく、ほいだら、葉が発酵で黄いろに変わってく、ほしたらまた日を当てる、いうたら日に当てたら渇き過ぎるちゅうわけ、ほかに風がきつかったらな乾いてしまう」

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「発酵は2日くらいやる。ほいでビワ色みたいに黄いろになり、そしたらまたシワシワ、天気だったら午前10時ごろまで干して、そのあとは寄せておく。昔は午後4時ごろになったらまた広げて夕方になったら閉めよったんけどな、いまはようせん、あしたまで置いておく。手間を省くきんな。明日の朝ひろげる。ほんまは2回ひろげたほうがいいやろな」

収穫したあとも、毎日拡げたり寄せたりする作業が続くのだ。初めて話を聞いて、だいぶ阿波葉のことがわかった。

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阿波葉は江戸初期に渡来したタバコが、長い時間をかけて徳島の山間地に適応したものだ。黄色種よりも密植で育て、しかも連作障害が少ないという。山間地での確実な現金収入でもあった。

JTが生産をやめれば、この品種400年の歴史とノウハウが終わってしまうのだ。とはいえ、これだけ手間のかかる農作物を残していくのも難しいように思えた。いまはとにかく阿波葉を見かけたら写真を撮っておくくらいしかできることはない。

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2008年7月6日、前回の訪問から1年後。

畑の様子を定点的に見ようと訪れた。

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同じ圃場に今年も阿波葉が育てられていた。

2007年は「ほったらかし」と言っていて、確かに少し調子が悪そうな株が目立ったけれど、今年はどの株も青々している。

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よく見るとマルチは使っていない。

タバコの周りの除草はきれいにできている。除草剤かもしれないけれど。

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収穫した葉の乾燥は、こんなふうに家の敷地に仮設の屋根を立てて行なう。

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すでに収穫した葉が干されていた。

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葉を黄色く色づける工程だ。

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それからさらに1年がたった。2009年7月12日。

今年は阿波葉栽培の最後の年となる。

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今年も青々と立派に育っていた。

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今年は雨不足で天水の畑は大変だったが、ここは谷川沿いで水田も作れる場所なので、水には困らなかったのだろう。

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最後の年も例年と変わらず、10アールの栽培。

4,030株を作付けした。

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2009年8月19日。

収穫はすべて終わっていた。

株は掘り出してある。あとでまとめて運び出すのだろう。病気が発生した株もあっただろうし、連作障害を少しでも避けるためには枯れた作物を畑の外に出したほうがいいのだ。

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最後の葉もきれいに色づいていた。

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仮設の屋根も取り外されている。

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乾燥が終わり、茶色く色づいた葉は倉庫の中に収められていた。

(2007年07月29日訪問)