奈半利町の藤村製糸の事務所でお話しを聞いていたときに、同じ事務所に四国蚕種という会社の人がいらした。かつて高知県の蚕種を製造していた大きな蚕種会社だったようだが、蚕種製造はもうやめていて管理会社として残っているのだった。話の中で土佐山田町にまだ建物が残っていると聞き、場所を教えてもらうとともに敷地内で写真を撮る許可をもらった。

教えてもらった場所は山田高校の東側の敷地で、想像していたよりかなり広い土地に多くの建物が残っていた。
道路を挟んで南北に1ヘクタールくらいの土地がありそう。かつて、大量の蚕種(蚕の卵)を製造していただろうことがわかる。

道路の南側は蚕種生産設備ではなく、事務所、社宅などがあったようだ。
「四国蚕種社宅」というプレートが付いている小屋は、これは社宅ではなく「第二倉庫」。奥側は「農具庫」と書いてある。ということは道路の南側の土地の大半は桑園だったのかもしれない。

これが実際の社宅か。

同じく道路の南側にある事務所。
ここは現在も事務所として使われているそうだ。何のことはないありふれた木造事業所だから文化財に指定されるようなことはあり得ないのだが、それゆえに姿を後世に残していくことはできない貴重な情景ともいえる。
この道を通った山田高校の学生は、いつか「学校の隣で蚕の卵を作ってたな」などと懐かしく思い出すのかもしれない。

事務所には「四国蚕種」いうオーナメントが誇らしげに掲げられている。

事務所棟を南側から見たところ。
会議室等がありそう。

道路の北側には大きな倉庫のような建物がある。
これは「第3採種室」とある。
この写真は建物の東面になる。

建物の西側に廻ってみる。山田高校側から見たところ。

第3採種室の北面。
土地が空いているのでここに第2採種室があったのではないかと思う。渡り廊下が一部だけ切れて残っている。養蚕業が縮小する中で、設備が過剰になり取り壊したのかもしれない。

さらに北側にあるのが第1採種室か?

採種室の中が少しだけ見える場所があった。

中廊下で両側に小部屋が並んでいる。
愛媛蚕種で見たのと基本的には同じ仕組み。製造する蚕品種が間違って交尾しないように部屋を分けているのだ。

小部屋の内部の様子。
壁に穴が並んでいるのはパイプを差したホゾ穴で、蚕棚にパレットが並んでいたのだろう。

他の施設を見ていく。
写真左の建物は第1倉庫。注意のシンボルが描いてあるのは劇薬の薬品を保管していたからだろうか。
写真右側の建物は浴室。これは宿直のためではなく、おそらく蚕の病気を持ち込まないように作業者が身体を洗ったのではないかと思う。

浸酸室(左)と薬品庫(右)。
浸酸室とは、休眠している蚕の卵を決まった期日に目覚めさせるために、酸の刺激を与える作業をする部屋だ。

浸酸室の内部。
左に見える透明の漏斗みたいなものは、塩水選のための道具。

ここは四国蚕種の残存する建物の中で、一番蚕種会社らしいビジュアルの場所だ。
しっかり眼に焼き付けておきたい。

道路側にあったレンガ造りの蔵。
写真左側が「母蛾乾燥室」、右側が「蚕具消毒室」。

蚕具消毒室の裏側。
木炭か練炭で加温するような構造に見える。水洗いできない蚕具をホルマリンで薫蒸したのだろう。

こちらは水洗いできる蚕具を消毒したと思われる水槽。

建物に出入りする従業員の手洗い場。
あれ? あらためて見ると、蚕の卵を保管する冷蔵室や、目覚めさせるために加温する催青室が見当たらない。
見落としたかな・・・。

時刻はもう17時半。きょうはここまでだ。
シルエットになっていく建物を見ていると、養蚕という繁栄した産業の黄昏の時代を感じずにはいられない。
四国蚕種の建物は2013年ごろにはすべて取り壊され、現在は住宅地と通所介護施設になっている。
(2012年03月19日訪問)