阿蘇山頂へ向かうロープウェイの駅のそばにお堂があった。先ほど立ち寄った西巌殿寺の奥の院だ。
この寺の始まりは伝説によれば奈良時代に火口近くの洞窟に仏像を安置したことに始まり、最盛期にはこのエリアに88ヶ寺からなる一山寺院として繁栄した。戦国時代に戦火に遭うが、安土桃山時代に加藤清正により山麓に移して再興されたという。
現在はこの無住のお堂があるだけだ。
他の坊の痕跡があったとしても、たびたびの噴火で火山灰に埋もれてしまっているのではないか。
お堂の左側には巨大な石造馬頭観音像がある。
お堂の軒下にある「足手荒神堂」。
戦国時代末期、甲斐
これはその分社で、山麓の西巌殿寺にも同様のお堂があった。
足手荒神のお姿。
お堂の向拝には4色の房がたくさん下げられていた。
堂の外周には板が打ち付けられていて中が暗い。建物は覆屋のような二重の構造になっている。
内部の本体でもある赤いお堂は、内陣と外陣が分離した密教様式。本尊は十一面観音のようだ。
(2011年08月08日訪問)
図解/古建築入門: 日本建築はどう造られているか
単行本 – 1990/11/1
西 和夫 (著)
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寺院建築の架構が最も理解しやすく書かれている本だと思います。