ときがわ町から標高を上げ、関東山地東縁の尾根へ登る。ここにはかなり長い林道、通称奥武蔵グリーンラインがある。
いままでこの林道はお寺参りや部分的に峠を越えるなどで断片的通っただけで、きちんと走ったことがなかった。きょうはこの道を都幾川町から日高町まで走ろうと思う。
これまで勝手にグリーンラインはいわゆるスーパー林道のような感じかと思っていたが、ちょっと想像していたのとは違っていた。
首都圏から近いためか別荘地のような雰囲気の地域だった。純然たる別荘もあるし、山家を買い取って週末の田舎暮らしをしている人たちもかなりいそうだ。いわゆる僻地という感じがしない。
山体を保全するため尾根に近いところは落葉広葉樹林が残されている。林道はほぼ尾根を通っているため気持ちがいい。
尾根から少し下がるとヒノキ、尾根から離れるとスギという施業になっている。尾根付近は水気が少ないので水を好むスギではなくヒノキが植えられることが多い。
グリーンラインはずっと尾根を通っているため、いくつかの峠を通過する。
刈場坂峠という場所で小休止。
ここからはときがわ町方面、その先の関東平野が望める。
慈光寺は矢印のあたり。
わずかに稜線の裏側になるので、伽藍は見えない。
1時間弱走って顔振り峠という場所に到着。
ここには数軒の茶屋があるので、あわよくば夕食でも食べられないかと思っていたが、残念ながら16時までで閉店。
少し高いところにあるのが顔振茶屋。
道の際の崖屋になっているのが平九郎茶屋。
「平九郎茶屋」の名前は、渋沢平九郎からきている。平九郎は幕末に幕府側について官軍と戦って戦死した武士。渋沢栄一の義弟(後の養子)でもある。
平九郎は彰義隊に加わっていた。彰義隊は渋沢家一門を中心に結成された部隊だったが、飯能戦争で敗れたとき一族の者とはぐれ、一人この山中を敗走することとなった。
途中この付近の茶屋で刀をあずけ、農民に偽装して秩父方面へ落ち延びようとしたという。このときの刀は後に渋沢栄一に戻されたというので、この武士が平九郎だったことは伝説ではなくおそらく事実だろう。
平九郎茶屋はその史実にちなんだ名前だ。
実際には平九郎は秩父方面へ行かず、越生方面へ向かった。
茶屋からは南西側に展望があり、奥多摩の深い山並みが影絵のようにどこまでも続いている。
どうやらきょうはここまでのようだ。夕食は山をおりて、日高町か飯能~狭山あたりで食べることになるだろう。
(2021年11月03日訪問)