赤岩集落の中ほどにある湯本家住宅。土蔵造りの3階建てで、現在も人が住んでいる。
主屋の骨格は文化3年(江戸後期)築とされ、明治30年に養蚕のために3階が増築されたのでこのような異形の姿になった。すごい迫力。以前、吉岡町で見た漆原カイコ要塞を思い出す。
湯本家は古くは木曽義仲に仕え、義仲が敗死したのちは嫡子を保護して落ち延びて入山に隠れ住み、後に頼朝の家臣となって草津を領有して湯本姓を名乗った。
江戸初期に赤岩に移り、医業をはじめた。幕末には高野長英を一時的に隠れ座敷にかくまったという伝説を持つ。
外から建物を見ていたら、主のおじさんが出てきて、きょうは特別な日で建物の中を見せてくれるという。
とりあえず1階の茶の間にあがらせてもらったら、まったく日常生活をしているままで、観光客を受け入れるような状態ではなく、写真を撮るのははばかられた。
なので、生活用品が写らないように天井を撮らせてもらった。茶の間の上は吹き抜けで2階がなく、3階の床が見えている。
この主屋には地下室があり、医家だったころ薬を保管したという。
2階へ。
2階は生活用品が少なく、片づいているので、心置きなく写真を撮らせてもらう。
2階は吹き抜けの周りが部屋になっていて、全体が把握しにくい。
2階のバルコニーに出てみたところ。
2階には高野長英をかくまったとされる部屋がある。
高野長英は幕末の蘭学者で、開国をとなえたため幕府に睨まれていた。天保10年(1939)に幕府に反抗的な知識人が弾圧される「蛮社の獄」事件が起きる。高野は終身刑を言い渡されて投獄されたが、獄舎の火事に乗じて脱獄し、ほとぼりが冷めるまでいずこかに潜伏した。
その際、この座敷に一時的に匿われたというのだ。史実かどうかはよくわからない。
ただし、確かに隠れ座敷っぽい部屋だし、床の間やしつらえは上等だ。
革張りのあかぬけた建具。
2階には茶の間から登ってきた階段のほかに、直接外部に出られる別の階段があり、これは手入れがあったとき高野を逃がすために造られた階段だという。
豪商の屋敷の2階にはよくこういう2つ目の階段を見かける。
商談などをしていて都合の悪い来客があったときに先客を追い出したり、あるいは、妾を連れ込んでいるときに本妻が押しかけてきたら妾を逃がしたりするんじゃないか、などと私は勝手に想像しているのだが。
でもまあとにかくロマンに満ちた造りだ。
他に、1階から2階へスロープで上がれる通路があるというのだが、そこは見せてもらえなかった。私物が置いてあるのか、あまりのもプライベートな場所だったからなのか。
スロープの途中に床が開く箇所があり、そこを開けると地下室まで落下する穴になっているという忍者屋敷的な造りと言われている。ぜひ見たかった。
続いて箱階段で3階へ。
階段は狭い。
養蚕をするといっても桑や籠などを持って上がるのは無理そう。
どうやってこの3階を使ったのだろう・・・。
3階は全体が一間になった作業スペース。
奥には蚕箔や蔟が片づけてある。
この家はいまのところ観光客を受け入れる状況ではないから、蚕具は展示物として運び込まれたものではなく、もともと湯本家所有の用具なのだろう。
天井はなく、化粧屋根裏になっている。
木製の養蚕火鉢。
カイコを飼育するときに部屋を暖めたり、上昇気流を利用して空気を入れ替えたりするために使われる。
広い部屋を暖めるのには沢山の火鉢が必要だったのだろう。
左奥の浅い火鉢は、養蚕専用の火鉢だ。
ガラス瓶はホルマリンが入っていたものだろう。カイコを飼育するとき、蚕具や室内の殺菌に使う。
真ん中の賽銭箱みたいな道具は何だかわからない。蚕具ではないかもしれない。
右奥の木の枠は回転蔟の枠。カイコに繭を作らせる道具だ。
3階のバルコニーに出てみた。
養蚕農家というより楼閣の印象だ。月見ができそう!
この空間、何なのだろう。
バルコニー部分を外から見たところ。
湯本家は2025年から解体、改修工事され、2027年には一般公開されるという。
そのときはスロープも見られるようになるのかな。
(2012年07月29日訪問)
