小塩沢の谷を分け入っていくと、岩山がそそり立つ水墨画のような風景の場所になっていく。
この谷を登りつめたところにあるのが
お寺には山号、院号、寺号があって、たいていはそのどれかひとつで呼ばれる。たとえば群馬では山号で呼ばれる寺は小林山や迦葉山、院号で呼ばれる寺は大光院や龍海院などがあるが、ここ「黒滝山不動寺」は山号と寺号を連結して呼称されることが多い。単なる「不動寺」とはなぜか呼ばれないのだ。
寺への道は県道202号線。私道ではない。
駐車場は2つあり、寺に近いほうの駐車場から寺までは500mほど県道を歩くことになる。急坂だしちょっと遠いかな・・・。健康な人はいいけれど、高齢者などで足の悪い人はいる場合は行き止まりまで車で入ったほうがいい。
境内に入って最初にあるのは鐘堂。
大塩沢の集落に鐘の音を知らせるためにこんな場所にあるのだろう。
庫裏、兼、宿坊。
伽藍配置図があったが、あまりにも観念的すぎてほぼわからない・・・。
図の左上のあたりに観音窟とか馬の背という表記があって気になるのだが、どのくらいの距離の場所なのかもさっぱりわからない。きょうは行くのはやめておく。
この庫裏の廊下のようなところを通って境内へ入る。
山門は屋根の片側が垂直の崖に張りつくような立地。
山寺に来たなぁという感じがする。
山門の下にはサケ科の
山門の前にはスギの巨木がある。
高さ約41m、胸高直径約2.1mで、樹齢数百年と考えられているという。黒滝山不動寺の中興は江戸初期なので、そのころ植えられたものなのかもしれない。
寺を中興したのは黄檗宗の潮音道海という黄檗宗の名僧。ここにはそれ以前から滝の行場があり、修行の地だったようだ。道海は当時館林城主だった徳川綱吉に招請され、寺を建てるなど群馬県と縁のある僧であり、政争に巻き込まれた際にはこの黒滝山不動寺に3年籠もったこともあるという。
群馬県には近隣の県にくらべて黄檗宗の寺院が多いのは道海に関係があるのかもしれない。
絶壁に沿った狭い参道を進むと、本堂の不動堂が見えてくる。
不動堂の手前にある水盤舎。
不動堂は宝形屋根、裳階つき。裳階の正面1間は吹き放ちの回廊のようになっている。
黄檗宗は江戸時代初期に中国から移入された禅宗の一派。臨済宗、曹洞宗が鎌倉時代に創始され、室町時代を通じて日本の文化芸術に深く浸透したのに対して、黄檗宗は後から入ってきてあまり日本ナイズされておらず、中国の明朝のスタイルを濃厚に持っている。
それはお寺の建物にも現われていて、わびさびではなく、何となく日本ではないような雰囲気をまとっている。
本堂の不動堂の中では読経が行なわれていた。
普段ならば本堂が開いていれば中の写真を撮るのだけど、さすがに行が行なわれてるので遠くから手を合わせるだけにした。
帰りに前を通ったら、戸がしまってしまっていて中がどうなっていたのかはわからない。わずかに厨子が見えている。
この本堂は崖下にあるのだが、半分洞窟に埋もれるように建てられている。
この洞窟、というか、くぼみは滝つぼで、尾根が近いので水量が少ないものの、水が落ちている。
滝つぼには不動明王がいる。
黒滝山不動寺ができる以前からここは行場だったようだ。
こんな山の高い場所に河食地形みたいなものがある。
天女窟といい、弁財天が祀られている。
滝の裏からみた不動堂。
不動堂を過ぎると、臥龍橋という石橋がある。
臥龍橋の手前にコンニャク石という奇岩がある。
コンニャクみたいに揺動するのかと思ったら、コンニャク芋の形をしているだけ。
臥龍橋を渡るとまた本堂級のお堂がある。
扁額には「大雄宝殿」の文字。
大雄宝殿は禅宗では仏殿の意味だ。
中を覗いてみると、一般的な仏殿のフォーマットからは著しく外れている。
一般的な仏殿には床がなく土間(磚敷き)で、その上に直接須弥壇を置いている。床が後補だったとしても須弥壇の位置も違う。
外観も、大雄宝殿は入母屋の裳階付きが本来だから、この堂はそのフォーマットからも外れている。
一応、寺が自称しているので、この建物を仏殿としてインデックスしておくが、どちらかというと法堂なのではないかと思われる。
むしろ不動堂のほうが仏殿っぽい外観をしている。不動堂は内部に床があるのかな? そこが気になってしまう。
大雄宝殿を過ぎるとトイレがある。
なぜ、こんな奥に? 行政が建てたのかな。
このトイレの横に石段があり、その先にさらに伽藍がある。
石段を登ったところに棟門があり、その先は開山堂になっている。
歴代の住職の墓所かな。
開山堂も石垣積みの上に建てられている。
こちらは卍崩し高欄を巡らせる中国風の建築。
内部は土間で、位牌堂にもなっている。
開山堂の背後にある天蓋洞という半洞窟。潮音道海の遺骨を祀っているという。
(2011年05月07日訪問)
