多聞寺

端四国63,67番札所。灌頂院の本坊。

(徳島県つるぎ町半田上喜来)

ソラの集落をあっちこっち動いているうちに時刻はもう17時近くになっていた。きょうの最後の訪問地として、多聞寺というお寺へ来ている。土々呂の滝、灌頂院はこの多聞寺の奥の院という関係である。

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これは多聞寺にあった上喜来集落の案内図。寺は集落の入口にある。地図ですごく気になるのは「石堂神社」。でも地図のスケールは主観的でわかりにくい。南が上だし。1/25,000地形図で神社の場所を探したがどうも場所がわからないので、きょうは探索はしない。

この地図が書かれたのは昭和55年。現在は公民館になっている場所に「まゆ集荷場」と書かれている。昭和50年代にこの地域では養蚕が盛んだった証だ。

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寺は城のような石垣の上にある。山村にしては立派な寺だ。

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本堂は宝形造。

寺の名前が「多聞寺」というだけあって本尊は毘沙門天。奥の院の灌頂院も毘沙門天を祀っていた。

ほかに端四国霊場の第63番と第67番を合祀している。

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本堂の左側には客殿、その奥に庫裏がある。

客殿はかなり立派。

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鐘堂。

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本堂の左には不思議な塔がある。

RC造の二重塔で、なぜかてっぺんに宝篋印塔を載せている。なんだか登れそう。あとで登ろう。

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本堂の左前にある大師堂。

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本堂の右前にある水子地蔵堂。

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本尊の毘沙門天は室町時代の作で町指定文化財。

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内陣の様子。本尊は厨子の中かな。

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内陣の裏側は回れるような造りになっていて、位牌堂になっている。

この部分はもしかすると後補かもしれない。

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というのも、本堂を外側から見ると後ろに不自然な下屋が出ているからだ。

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境内にあった観音像。

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他に、四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場がある。

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さていよいよお楽しみの二重塔に登ってみる。

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2階には不動明王が祀られていた。

矜羯羅、制多迦の脇侍もいる。

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塔の上からは本堂の宝珠が近くに見える。

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塔の上から見た境内の様子。

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本堂と客殿の間には庭園がある。

室町時代の作と考えられていて、この寺が古くから信仰を集めていたことがわかる。

この上喜来の集落や、この周辺のソラの集落も古くからあったということだ。

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庭園は池泉観賞式。

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中々の名園だと思う。

(2005年05月29日訪問)