山口市街から離れ、国道262号線を防府市へと向かう。その途中で禅昌寺という寺に立寄ることにした。駐車場から見えたその寺の伽藍にビックリ。
あれ? 回廊あるじゃん!
しかも、なんか
私が地方寺院巡りのネタとしてよく使う、人文社版『郷土資料事典(旧観光と旅)』の記事なんて、説明を読んだだけだったら素通りしてしまうようなしょっぱい書き方だし、、、
『全国寺院名鑑』の伽藍リストにも、これといって際立った特徴は見られない。
今回ここに立寄った理由も、ここに怪しい門の写真が載っていたからという程度の理由だった。
それぞれにいずれ名前を付けたいと思っているが、この寺の山門に関して言えば、禅宗の何らかの伝統の発現ではなく、山口の神社の重層拝殿のノリと同じものではないかと思う。
門は三間三戸で回廊の中から見ると、門というよりも回廊の一部分のようにしか見えない。
門から時計回りに回廊を廻ってみよう。
残念ながら、門の左側は本来90度に曲がる角の部分で終わりになっている。
そこから本堂の方向へは過去に回廊があったと思われるような跡地になっていて、地蔵堂と観音堂が並んでいる。
伽藍配置図には「地蔵堂」とあるが、これは元は輪蔵だったと思われる建物だ。
明治時代に荒廃したということなので、そのときに経巻棚は失われたのかもしれない。
通常のパターンからすれば禅堂があるような位置には観音堂があった。
観音堂の内部。かなり新しい建物だ。祀られているのは聖観音。
せっかく建てるのだったら、禅堂を建てて欲しかったなぁ。そして回廊で接続してくれたら最高なのに。
本堂。
方丈タイプだ。
本堂の左側に開山堂が反り橋で接続している。
本堂の右側には玄関。
さて、この寺の本領はここから右側である。本堂から山門までは回廊で完全に連結されているのである。
まず本堂からみて一つ目にあるお堂は「
食堂の前も回廊は通行できる。
惚れ惚れするような回廊っぷり!
食堂の内部。
名前負けではなく、実際に信徒などが食事をとれそうな空間だ。
食堂の隣りには
庫裏というと現代では住職の住宅のような意味になっているが、もともとは「
この寺の庫裏も切妻の大屋根で、中は確認しなかったが中央に煙出し櫓があることから、竈が中心であり建物のほとんどの面積が調理のためにデザインされていると思われる。
庫裏を裏側から見たところ。
僧侶の住宅は、庫裏の北側に増築された部分だけではないか。
庫裏の横には倉庫群が並んでいる。
伽藍配置図によれば、手前から倉庫、閑坐窟、蔵×2となっている。
閑坐窟は小型の禅堂だろうか? 写真で蔵の並びの手前、わずかに赤い庇が見えているお堂だ。
食堂と庫裏の間には不思議な窪みがある。
そこに韋駄天像が祀られていた。
韋駄天は寺においては庫裏を守る神さまとされている。
庫裏に韋駄天がいるのは本格的であることの証しだ。
庫裏の先には袴腰鐘楼。
妙応寺型回廊寺院では鐘楼は庫裏と同じに回廊の右半分に配置されるということは瑠璃光寺の記事でも書いた。
そしてその先には浴室がある。
七堂伽藍の定義は宗派によって差異があるが、禅宗の場合は「山門、仏殿、
それも、ここでは回廊の途中に独立して建てられているのだから、こじつけではなくこの寺の浴室は明確に七堂伽藍を意識したものだといえる。
祀られているのは、どうみても地蔵菩薩にしか見えないが、これはたぶん
禅宗では風呂も修行の一部と考えられ、入浴の作法が決まっている。
浴室を裏側から見たところ。
独立した建物だということがわかる。本山や五山級の大寺院ではなく、地方禅院でこんな浴室が見えるなんて、いま私は涙が出そうなくらいの幸福感につつまれている。
窓が開いていたので中を見せてもらった。
蒸し風呂ではなく湯屋になっていた。清潔感があり、実用的な湯屋だ。
湯屋の隣は東司。
つまりトイレであるが、これも七堂伽藍の構成要素のひとつ。トイレにも作法がある。
東司の守護神は
東司から先は回廊は下りになっていく。
(2003年09月06日訪問)
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