毛利家は関ヶ原合戦で西軍についたため、江戸時代には領地を没収され萩に転封となった。
幕末には長州征伐などの争いが起きたが、そのときの長州藩主が毛利
社格は「別格官幣社」であり、通常の官幣社が天皇家の先祖を祀るのに対し、別格官幣社は朝廷に尽くした武将などを祀る。
新しい神社とはいえ、市街地北部の山を背負った立地にあるため、境内は緑豊かでおちついた静かなたたずまいだ。
参道の途中には絵馬殿がある。
絵馬殿は当サイトではこれまでにいくつも紹介してきたが、拝殿や信徒休憩所が絵馬の展示場を兼ねているというパターンも多かった。
しかしこの神社の絵馬殿は、他の機能を排除した純然たる絵馬殿で、これまでに見てきたなかでも特に立派な絵馬殿といえる。
絵馬のひとつ。
鐘馗か?
水盤舎。
水盤は青銅製の大きな瓶のような形のものだ。
その先には短い石段があり、袖塀付きの四脚門の神門がある。
神門を過ぎると舞殿と思われる建物がある。
四方は吹き放ちではなく、ガラスの桟戸が入っている。
その背後にはまた短い石段があり、拝殿がある。
拝殿の左右は翼廊になっていて、側面から背面は瑞垣であるため、ここから先には立ち入れない。
翼廊から本殿の方向を見る。
縦拝殿のような渡廊があり、2柱の本殿へ接続している。主神の毛利敬親と、その息子の毛利
本殿は流造。
渡廊下の途中には十字型に突き出した建物がある。おそらく供物を置くための幣殿であろう。
拝殿周辺には宝庫。
他に護符売り場があるが機能していない。
参道の途中には社務所。
社務所の隣には茶室がある。
鳥居の外になるが、野田神社が管轄する敷地に能舞台がある。昭和11年に毛利家が神社の寄進したものだそうだ。
かなり立派な能舞台。
室町時代の能面や能衣装を収蔵しているという。
(2003年09月06日訪問)