重源ゆかりの地、徳地町からちょっと峠を越えて阿武川の上流地域へと移動した。この場所で一ヶ所だけ、桂光院という寺を訪れるためだ。
快適な国道を通ってあまり遠くない場所とはいえ、あとになってよくよく見渡せばこの寺は今回の旅の範囲である徳地町からはだいぶ外れている。どちらかといえばいつか津和野へ行くときにでも訪れればよいような場所だった。だが山口県を初めて訪れるときにはそういう判断もできないから、非効率な動きになってしまっている。
この寺をどうして訪れようと思ったのか、いまとなっては自分でもはっきりわからない。『全国寺院名鑑』のこの寺のデータを見ても、特に他の寺と際立っている点は見当たらないからだ。
ドライブマップにも載っていないような地方の無名の寺なのだが、そのページに「桂光院」と赤書きしてあり、現地で聞き込みしてでもこの寺を目指していたことだけは確かだ。
さて、どんな寺なのか見ていこう。
山門は四脚門。柱も太く力強い建築で、寺の他の堂宇より年代は古い。江戸末期くらいはいきそう。
面白いのはこの門の柱には、エンタシスのような膨らみがあることだ(写真下部)。
また、袖塀の破風板に木鼻みたいな形(写真上部)があり、雲型の絵様が通常の木鼻とは逆の向きに巻いている。
本堂は新しそうな建築だが、向拝が中心からオフセットしている。禅宗の本堂によくある作りだが、建物全体としては禅宗の本堂型式とは異なる。
きょう見てきた海印寺本堂と強い共通性を感じる。
本堂の中を覗いてみたら、内部構造は内陣/外陣からなる本堂型式ではなく、方丈型式だった。
本堂の左側には庫裏。
本堂の右側には位牌堂。
またもや、本堂の横に位牌堂!
もはや山口県の位牌堂のひとつの特徴と言っていいように思う。
山門を入ってすぐ左側には地蔵堂があった。
棟から突き出して見えるのは「
で、結局、この寺に来た理由なのだが、よくわからないままだった。
(2003年09月04日訪問)
沖縄島建築 建物と暮らしの記録と記憶 (味なたてもの探訪)
単行本 – 2019/12/4
岡本 尚文 (著, 監修, 写真), 普久原朝充 (その他)
木造建築、コンクリート建築、赤瓦、セメント瓦、琉球、日本、アメリカー、多様な文化が混ざり合う沖縄のまちと建築を通して、時代の流れのなかを生きた人びとの暮らしの「記録と記憶」をまとめた一冊。
amazon.co.jp