山門を入ってすぐ左側に十一面観音堂がある。
残りの2虚空蔵がそれなりの規模の虚空蔵なので、ここが3ヶ所目というのは異論もあるかと思う。
でも、ひとつ看過できない共通点がある。それは、いずれも地名が「やないづ」であることだ。これは以前の2ヶ所目に行った時にも気になっていたことで、偶然ではなく、何かしら意味がありそうな気がするのだ。
柳井市の合併前の旧地名は「柳井津町」で、現在の重伝建の町並みの辺りの地名である。そして、その名前の起こりはこの寺のこの井戸なのだという。
この柳にはこんな伝説がある。
飛鳥時代に都に顔にあざのある玉津姫という姫がいたが、結婚相手が見つからなかった。仏のお告げで豊後(大分県)に住む貧しい炭焼きの男の妻になる。男は貧乏だったので姫が黄金を与えるが、男は黄金を投げ捨ててしまう。姫がそれを咎めると、こんな石は炭焼小屋のまわりにいくらでもあると。
姫が炭焼小屋に行ってみると、大量の黄金を見つけたのだった。またその近くの淵で顔を洗ったところ、姫の痣が消えた。二人は真名野長者と呼ばれ幸せに暮らした。
やがて二人は美しい娘、般若姫をもうける。その美貌の噂は都にまで届き、時の皇子(後の用明天皇)は変装して長者の家の下男として住み込み、般若姫と結ばれる。皇子は即位することになり都に帰ることになったが、般若姫は身ごもっていたので皇子ひとりが先に帰ることになった。
そして「生まれた子が男なら子どもを都へ上らせよ、女なら子は跡取りとして残して姫が私のところへ来るように」と伝えた。生まれれたのは女の子だったため、約束通り子どもを長者の家に残し、船で都へ上ろうとしたが、周防の沖まできたところ嵐になり難破してしまう。
般若姫は海岸に打ち上げられ村人に発見されるも、すぐに亡くなってしまう。その際、村人が姫に飲ませたのがこの井戸水だった。姫が持っていた柳の楊枝を井戸の側に差したところこれが根付いたため、ここを「楊井(後の柳井)」と呼ぶようになったという。
小さな寺だが、意外なロマンを秘めた寺であった。
境内には、観音堂のほかに、本堂、庫裏、鎮守社などがある。
(2003年09月03日訪問)
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ムック – 2023/9/11
昭文社 旅行ガイドブック 編集部 (編集)
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