ディダーイー洞窟僧院

岩の割れ目の中に僧院がある。

(ミャンマーカレン州パアン)

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迷路寺で予想外に時間を使ってしまったが、きょう予定していた寺巡りはすべて終わり、国道を帰途についた。

あれはタンガリー寺院を訪問したとき、西に見えた石灰岩採石場の山だ。

事前の航空写真のチェックでは、寄る必要はないと判断したのだが、よく見ると麓に建物がある。寺か?

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まだ日没までにはわずかな時間があったので、小山に向かってみることにした。

スマートフォンの地図アプリの(バグの)航空写真を頼りに、小山への最短距離を進む。アプリがなかったら、とてもこんな狭い近道は入れない。

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小山へ向かう道はいわゆるダンプ街道でほこりっぽい。石灰岩を搬出するための道路なのだ。仕事を終えた男たちを荷台に乗せたトラックと何台もすれちがった。

この小山を訪れる必要なし判断したのは、GoogleMaps の航空写真では周囲が沼地で行く方法がないからだった。だがタンガリー寺院に行ったときの実際の様子では、この小山へはちゃんと道が続いていた。航空写真を雨季に撮影したため、小山の周囲が水没していたのだろう。

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小山を巻くように埃っぽい道が続く。

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小さなパゴダが設置されていた。

やはり寺があった。

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寺の主要伽藍は岩山の割れ目に食い込むように建っていた。これでは航空写真では確認できない。

こういう寺があるんだ・・・。

これまで田舎の寺巡りは航空写真を頼りに目的地を決めてきたが、今後は、怪しい山は現地確認が必要ということがわかった。新たな試練である。

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建物の一部は完全に岩山にめり込んでいる。

というよりも、穴居住宅だ。

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寺域は道に沿って続いている。

山門があったが入らずに、先に寺域の終りを確認することにする。

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寺の境内をそのまま進むと道は採石場へと通じていて、僧房があった。

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特撮の戦隊物の撮影でもしそうな荒れ地にパゴダがあった。

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山の上のほうには特徴的な岩がある。いずれは山の上にもパゴダが建てられる時がくるかもしれない。

そうすれば国道からも寺の存在が目立つようになるだろう。

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山門のところへまで戻り、境内へお邪魔しよう。

寺域は狭そうなので、山門のところで裸足になって階段を登っていく。

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少し石段を登ったところに、講堂と思われるこじんまりとした建物があった。

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採石場の横の僧房のほうから、修行僧たちが登ってきた。

上半身裸なのは僧衣の洗濯物を取り込みにきたためだろうか。

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講堂と思われる建物は、完全に崖の庇の下に隠れるようになっている。

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こんな夕方に村外れの僧院を外国人が訪れても、「よく来たね」という感じでまったく警戒されない。

ミャンマーの寺って、ほんと癒される。

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寺のメインの信仰装置は岩陰にある過去二十八仏。

セメントを練っている場所があるので、まだ寺を造っている途中なのだ。もっとも、ミャンマーの寺の多くは常に伽藍を造営中なのだが・・・。

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二十八仏はどれも同じように触地印の印相。

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ここにはほかに聖人紹介所がある。

誰だかはわからない。

トラ紹介所(?)にもなっている。

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岩山の奥には岩の中にめり込むように小さな部屋があった。

想像だが瞑想所(日本でいう座禅堂)ではないか。

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小さな洞窟を抜けると、バルコニーのような場所へと続いている。

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ここにもトラがいた。

このお寺はトラにゆかりがあるのだろうか。

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バルコニーの先は、下の道から見えた穴居住宅へとつながっていた。

このお寺の僧侶の個室だろうと思う。

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バルコニーには小さなパゴダがある。

ここは小山の南西の崖になり、バルコニーからは広大な湿地帯を一望できる。

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ここは、カレン州とモン州のあいだに続く広い湿地で、おそらくドンタミ川の後背湿地であろうと思う。

バーインニィ温泉寺もこの湿地帯の中にあるため、雨季の末期には温泉もろともよく水没して、舟でしか行けなくなるようだ。それはそれでバーインニィ温泉寺の風物詩となっている。

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沼地の中を何かを押しながら歩いている男がいた。

漁具でも設置しているのだろうか。

タトン山脈に夕日が落ちる。さすがにきょうの寺巡りはここまでだ。

ミャンマーで過ごしていると、地平線に沈む夕日を見る機会が多い気がする。広々とした台地とのんびりと進む時間は、ミャンマーのエッセンスといえるのではないか。

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(2015年12月07日訪問)

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