コーイン村の奥に大きなパゴダがあることがわかっているので、そこへ向かっていた。ところが途中で遠くの丘にお寺があるのを発見。
事前に航空写真を調べているのだが、小さな山は立体感がわかりにくく、見落としてしまうこともある。
これは遠目にも看過できない規模のお寺だ。
だが困ったことに、お寺のあるエリアの地図データを準備していなかったので、道がわからない。
とにかくお寺に最短距離で近づこうとふもとの村へ行くのだが、参道らしきものが見あたらない。
こんな村の中を右往左往するばかりである。
寺の周囲は水田になっていて、なかなか近づけないのである。
湿地帯を巻くようにずいぶん回り道をして、やっと寺へ行く道を見つけた。
あとで山の上から眺めたら、さっきの村からお寺へ来る近道があることがわかったが、人家の裏庭みたいなところを通過しており、初見で進入できるような道ではなかった。
お寺へ登る回廊付きの石段は2ヶ所ある。
どちらからでも登れるが、一方から登り、一方から下ればよさそう。
山頂にパゴダがあったので、岩登りを想定して、サンダルは脱いで手に持っていくことにした。
石段はかなり急。
こういう無茶な造りの階段は好きだな。好きすぎて夢に出てくることがある。日本ではほとんど見かけないのだがミャンマーには多い。
斜度だけではなく、最期のあたりはすごく狭い。
回廊を抜けるとパゴダがあった。
猫の額みたいに狭い敷地に、不規則に5つのパゴダがある。
5つのうち一番高いところにあるパゴダに登ってみた。
この場所からは、お寺の伽藍の屋根を見おろすことができる。
伽藍は斜面に建っていて、すべての建物がつながっている。まるで建て増ししすぎで立体迷路になった旅館の風情である。
建物の中を探検しよう。
薄暗い回廊をたどって、建物から建物へ移動する。
講堂。
静まり返っている。時刻は正午をちょっと回ったところ。午前中の修行は終わったところなのだろう。
修行僧の少年たちがテレビをみてくつろいでいた。
日本の禅寺の修行僧のイメージからするとずいぶんルーズに見えるが、ミャンマーの僧院はどちらかというと全寮制の学校のようなイメージの場所。
修行が終われば、こうしてくつろいで過ごす姿もよく見かける。
ミャインジーグー文字のあいうえお表発見!(高解像度で載せたので、興味のある人は拡大してほしい。)ミャインジーグー僧正という僧が考案した、カレン語の表記方法だ。このお寺はミャインジーグー僧正の宗派なのか。
一番上の段の左右に、風車みたいな卍マークがある。以前にボーダコッパゴダという寺でも見たが、あそこも同じ宗派なのだろうか。場所はこの寺と近い。
それにしてもいいなあ。この無計画な感じの増築具合。
わざとだよね? わざとやってるよね?
もう一つの石段。
帰路はこっちを通ろう。
境内の外れには東司(トイレ)があったので、お借りした。
小さな仏殿。
込み入った通路の行き止まりのようなところにあった。
さらに山の上のほうへ登る階段があった。
しばらく登ると回廊がなくなり、露天のパゴダがある。
同じ場所にある、得度堂と思われるお堂。
お堂の周りを結界石「ティン」が取り囲んでいる。
二重になった擬宝珠のような石で、この内側は結界となる。この結界には(ナッ信仰の)
この結界は一度作られると、寺が無くなっても結界だけは残るとされている。
ペアとなるタコンタイは得度堂の裏側にあった。
ここからさらに山の上に登る石段がある。
この辺はもう屋外なので、サンダルを履いて移動することにしよう。
またまた、異様に急で、異様に狭い石段が続く。
ひどいところは蹴上げが50cmくらいある。崖を登っていく感覚だ。
山頂にも小さなパゴダがある。
赤い旗が立っているところが最高地点だ。
最高点は裏側が垂直の崖。風があるが、おっかなびっくり立ってみた。
東側にはヤテピャン洞窟寺に連なる山脈がすぐそばにそびえている。ダイナミックだ。
北側から西側はパッチワークのような水田と、森の中に村が広がっている。カレン州の低地の農村の景観。
鐘つき柱があった。
打ち鳴らしてみた。
「コヮ~~~ン、コヮ~~~ン、コヮ~~~ン」
ミャンマーの鐘つきは、心の中で「仏に帰依します、仏法に帰依します、僧に帰依します」と唱えながら3回搗けばよい。
鐘の音はすぐに風に運び去られる。誰かこの音色を聞いているのだろうか。
西のほうにも小さな小山が並んでいる場所がある。
きょうはあそこまで行く予定だ。
(2015年12月07日訪問)
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