ミャンマー滞在の最初の日曜日。きょうは遠出してモーラミャイン市を目指すことにした。
滞在しているパアン市からみて、モーラミャイン市は南の方向へ70kmほどの距離。ミャンマー第3の規模の都市と言われていて、これまで職場の遠足でチャーターしたトラックで何度か訪れたことはある。オートバイで自分の運転で訪れるのは初めてになる。
パアン市からモーラミャイン市を目指すには、ズェガビン山脈の西側のパアン・モーラミャイン街道を通るのが普通である。道幅も広くスピードも出しやすい。しかしその道は何度か通っているので、きょうはあえて別の道を選択。パアン市の南東、エインドゥ町からカレン・モン州の州境の町ザタピン町へと通じる間道を通ることにする。初めて走る道は、わくわくするし本当に楽しい体験になる。
前回のミャンマー滞在の最後のころ、エインドゥ町から南に見える山を目指した。
目的地は山のふもとにある僧院だったのだが、橋が壊れていてお寺に近づけないと思い、撤退したのだった。
これがその僧院。間違いなく橋が落ちている。
だが帰国してからGoogleMapsの航空写真をよく見てみたら、ほんの100mも離れていないところに道路があり、お寺に通じていたのだ。
なので、今回の訪問でこのお寺にリベンジ。
さて、このお寺でまず目に付くのが、①山頂のパゴタと展望台、②山麓の岩山の上に点在するパゴタである。
①山頂のパゴダであるが、途中はずっと山道で純粋に登山っぽくなりそう。標高は200mくらいだろうか。
登れないことはないが、暑季であり気温は軽々と30度をオーバーしている。その状況での登るには見合わないと判断した。
独立丘陵だし山頂には視界を妨げるような森もないので、たぶん登ったら気持ちいいとは思うが。
②の山麓の岩山の上に点在するパゴダだが、こちらは細かくチェックしようと思う。
岩の間に洞窟などがあるかも知れないからだ。
先に僧院にお参りしよう。
僧房は2棟ある。右側の木造の古い僧房のよこに、新しくRC造の立派な僧房を建築中だった。
裏口から入った格好になってしまったので、まず正門のほうへ行ってみた。
正門の前は水田で、幅の狭い橋で道路とつながっているのだが、橋げたはすべて失われていて、いまは通ることができない。
正門を表側から見たところ。
門の左右に兵士みたいな像がある。これは何なのだろうか。以前ウダウンパゴダでみた兵士像と同じもののような気がする。
山門の扁額には謎の文字。
1文字に付加されている符号が多く、画数も多い文字だ。これまでミャンマーのローカルな文字として、レーケー文字、ミャインジーグー文字というものを見たが、これはそのどちらでもないと思う。(どちらかといえば、ミャインジーグー文字と共通点があるが。)
このような直線の多い文字群を総称してミャンマーでは「鶏の足跡文字」と呼んでいる。ビルマ語の丸い文字から見ると、これらの文字は鶏が地面を蹴ったときにできる模様のように見えるらしい。
金色のパゴダ。
表面に無数の仏陀が貼り付いており、ちょっとグロテスクな感じがする。
上部の
全体的にめずらしいパゴダだ。
小さな仏塔をたくさんのせた謎のお堂。
施錠されていて中はわからなかった。
なんとなくだが、
小さな鐘と、祠。
祠の内部には仏手石ではないかと思われるものがあった。仏足石の手バージョンである。
普遍的なものなのかはわからないが、当サイトでは日本では愛知県の北室院というお寺にあるものを紹介している。
質素な感じの仏殿。
手前に細かく書かれているのは、この仏殿を奉納した人の名前ではないかと思う。
僧院には山への登山口があったが、石段などではなく普通の山道だった。
今回は登らない。
続いて、大きな岩がごろごろと転がり、その上にパゴダがあるエリアへ行ってみた。
ここには回遊できるような通路はなく、かろうじて雑草のない踏み分け道みたいなところを歩くくらいしかできない。
岩体はおそらく石灰岩だと思う。
崩落して積み重なった岩のあいだに小さな洞穴のような穴はあるが、鍾乳洞になっている場所はなさそうだった。
もしそこそこ深い穴があれば、修行僧が瞑想用の洞窟として整備しているはずだ。
岩の割れ目にも怪しい感じの穴があるが、人が出入りしたような痕跡は見当たらなかった。
2019年に再訪し、裏山の山頂に登った。
また、そのとき完成した僧房の中も見ることができた。
(2015年04月19日訪問)
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