群馬県蚕糸技術センターは、群馬県の蚕品種や養蚕技術の研究をしている機関である。その中核業務は蚕品種の原種を維持し、それを掛け合わせた一代交雑品種を県内の農家へ供給することである。つまり、蚕種業者の親玉といった施設である。
昭和後期には蚕品種は製糸会社が管理し、配下の農家に供給していたが、その時代もう終わり、現在は県や国が原種の管理をしている。
ぐんま県民の日にこうした施設が一般公開されるので見学に行ってみた。施設の配置は左写真のごとし。(拡大)
建物の多くが飼育棟(蚕室)だということがわかる。もちろん見学したいのはその飼育施設部分なのだが、どうやら県民の日の公開範囲は、図で青い建物の本館だけらしい。
不特定多数の見学者が立ち入ることで、蚕室に蚕の病気などを持ち込むリスクを考えれば仕方ないのかもしれない。
いつか、普通の日に見学を申し込んで、他の部分を見せてもらおうかと思っているのだが、そんなことを言っていたらいつになるのかわからないので、とりあえず、県民の日に見られる部分だけを紹介しよう。
当日は本館がイベント会場であり、繭クラフトなどの体験が出来るようになっている。ターゲットは小学生くらい。
その部屋には標本展示も置かれている。左写真はめずらしい蚕品種の繭。(拡大)
黄色い繭は色を付けたものではなく、天然の色だ。品種改良されていない野生の蚕である「クワコ」を見ていると繭はクリーム色なので、蚕の繭はもともとは黄色で、白い繭のほうが突然変異なのかもしれない。
生きたグロテスクな品種も展示されていた。
でも、本当に見たいのは「普通の品種を、普通に生産しているところ」なんだな。昭和の養蚕の全盛期なら養蚕はどこでも見ることができたから、こんな変化球みたいな品種を見ることで興味が深まった時代もあったろう。だが近所で養蚕を見ることができなくなってしまった現代では、むしろ「普通の仕事」が見たいのだ。そういう意味で、飼育棟の見学ができなかったのは残念である。
イベントをやっていた会議室の隣には、資料の展示室みたいなところがあって、桑ジャムの試食などができるようになっていた。
ここには蚕品種ごとの繭がかなりよい状態で展示されていた。こうした展示は、民俗資料館などでも見かけることがあるが、ほとんどが経年の劣化や虫食いなどでボロボロになっていて、その蚕品種の特徴などはわかりにくくなってしまっているが、ここは時々更新しているのか、かなりきれいな状態で置かれているので、勉強したい人には参考になりそう。
病気になった桑の標本。
私にとって、この部屋で一番興味深かったのは、これだった。
果樹や桑には樹の病気があり、それの発見や防除が日常の農作業として重要なのだ。これらは特別な病気というわけではなく、農家が知っておかなければならない病気なのだろう。見たいのはそういうベーシックな知識なのである。
敷地の西側は約1.5ヘクタールほどある桑園。
群馬県稚蚕人工飼料センターの桑園と同じような植えかたになっている。畝間とても広く、株の仕立てが低い。おそらくバインダーのような動力刈り取り機で刈り取り、畝間には動力のついた運搬車両が通るのではないかと思う。
桑の収穫と搬出作業だけでみたら、小規模な養蚕農家の作業形態とは10~20倍くらいの効率の違いがあるのではないか。
群馬県の養蚕農家は2014年現在、150戸程度しかないといわれている。他の作目にくらべて土地生産性が低いというのが衰退の原因だ。養蚕が年寄りの余技ではなく、わずかでも産業として残っていくためには、少なくともこの圃場のような効率化がすべての養蚕農家に必要ではないかと思う。
圃場には桑の実を採るための樹も植えられている。
かつて徳富蘆花が群馬県の風景を「機の音、製糸の煙、桑の海」と詠んだそうだが、その桑の海の名残をここで見ることができる。
(2013年10月28日訪問)
復興建築 モダン東京をたどる建物と暮らし (味なたてもの探訪)
単行本(ソフトカバー) – 2020/12/2
栢木まどか (監修)
関東大震災後、現代の東京の骨格をつくった「帝都復興計画」と、未曾有の災害から人々が奮起し、建てられた「復興建築」を通して、近代東京の成り立ち、人々の暮らしをたどります。
amazon.co.jp