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群馬県の養蚕古民家には、平屋で寄棟造の赤城/榛名型民家と、二階屋で切妻の出桁造の民家がある。左写真などは後者の系譜だ。桑畑を持っていた農家では、カイコを育てる場所が多ければ多いほどよいというような状況だったはずで、それには屋根裏を改造した赤城型よりは、二階屋のほうが向いているはずだ。だから、明治初期以後は左写真のような二階屋が建てられるようになり、赤城型はすたれたと考えるのは自然だ。
だが、全ての家が母屋を建て替えたわけではないはずで、明治初期以降も寄棟の民家を赤城型に改築することはあったのではないだろうか。
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