三野町は川北街道に沿って商店が並ぶ小さな町。
阿讃山脈から吉野川に注ぐ支流、
町を見おろす高台には県西を代表する大規模な公園「三好市触れ合いの森」がある。
きょうはタバコ農家探しの途中でこの河内谷に分け入る。
河内谷には県道108号線が通っているが、阿讃山脈の他の1桁県道とは異なり香川へ抜ける便利な峠とは言えない。県民でもここに分け入ったことのある人は少ないだろう。
県道を上流にさかのぼると最後には大川神社という山頂神社に至る。そこは、私の妄想である「阿讃山脈の信号所ネットワーク疑惑」で、竜王山のひとつ西のポイントになる山頂だ。
主に訪れたのは旧太刀野山村の川又という集落。
ぱっと見てもわかるように、村のほとんどの家に
一方で、黄色種タバコの乾燥室である「ベーハ小屋」は見当たらなかった。
つまり、かつて阿波葉の産地だった集落なのだ。
その中でひときわ目立つのがこの蒸屋。
屋根が草屋根で、構造的にも変則的。いかにも古そう。
確認しなかったが基礎に焚き口の通気孔がある、火干し(薫蒸)時代の乾燥室の可能性がある。
近代的なハウス式乾燥室も多い。
これはかなり大きな乾燥室だ。大規模にやっていたタバコ農家だったのだろう。
ハウス式の乾燥室は、ベーハ小屋といった写真映えする建造物と違って、ほぼ人々の関心を引かないので、よくよく写真を撮っておかなければいけない。「そういえばいつの間にか見なくなったよね?」という時代が必ず来るからだ。
小さな気抜き櫓を載せた乾燥室。
徳島県の山間地でこうした小さな櫓を持つものは、ベーハ小屋ではなく、すべて在来種の乾燥室だと考えていいと思う。
四方蓋造りの民家。
寄棟の草屋根に鉄板を被せたものだが、大棟の中央に煙出しがついている。
囲炉裏のための煙出しで、鉄板を被せた後も囲炉裏を使ったのだろう。
だがこうした煙出しは換気の機能としては控えめだし、雨仕舞いも悪い。
そのため、土地がある場所では台所を主屋の外側に突き出して屋根を掛け、煙出し櫓を造るようになったのではないか、それが吉野川の氾濫原で多く見られる「
桟瓦の切妻屋根の建物もたぶん蒸屋だろう。
2階の換気・観察窓が根拠だ。
引地集落の遠景。
ハウス型乾燥室、土蔵タイプの蒸屋、切妻総二階の三つ櫓、二つ櫓の蒸屋、いろいろな葉たばこの施設が見える。やはりベーハ小屋タイプは見当たらない。まさに阿波葉集落。
三つ櫓の蒸屋。
こうした建物がみかん蔵や蚕室ではなくタバコ施設だと判断できるのは、タバコ集落に多く見られるからだ。
こちらは二つ櫓の蒸屋。
いまこの地域にはタバコ農家は残っていないと思う。
(2009年07月12日訪問)