八幡浜の町並み

持送り板が立派な商家が目立つ。

(愛媛県八幡浜市桧谷)

別府の旅、3日目。

本来なら3日目も別府で観光するつもりだったのだが、台風が九州に接近していたので昨夜のうちに九州を発って愛媛の八幡浜(やわたはま)に移動していた。フェリーが欠航になると、帰宅が困難になるからだ。八幡浜から徳島までは高速道路を使えば3時間ちょっとで帰れるし、下道でも夜の国道を走れば5時間ほどしかかからないから、2日目のうちに帰宅してもよかった。

でもせっかくの3連休がもったいなく感じたので、八幡浜に宿泊して3日目は愛媛県を少し見てから帰ることにしたのだった。八幡浜はフェリーが着くような港町だから、どんな時間でも飛び込みで泊まれるホテルが見つけられる。

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朝、台風は熱帯低気圧に変わっていたが、ホテルの窓から外を見ると横殴りの雨が降っていた。

とても観光できる天候ではない。

きょうはあきらめて徳島に帰るしかなさそうだが、くやしいのでホテルの周辺を少しぶらついてみよう。

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ホテルの近くにはアーケード街があった。➡ 場所

アーケード街は全体的にはT字型で、総延長は800mほどある。現在、ショッピングの中心はJR八幡浜駅方面の大型店に移っているが、まだアーケード街にもお店がたくさんある。

天井からは大漁旗が下がっていた。港町らしい飾り付けだ。

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かわいらしいトラフグの大漁旗。

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乳母車屋。➡ 場所

1種類の商材だけを扱う専門店は少なくなっているが、その中で私が特に好きなのがタバコ屋と乳母車屋。乳母車屋ってむかしけっこうあったと思うのだけど、珍しくなっている。

徳島市にはまだあるけれど。

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アーケードのT字の突き当りにある百貨店の高島屋。

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地方都市のアーケードに面したデパート自体がいまは貴重だ。

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高島屋の斜向いにある代官屋敷跡。➡ 場所

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アーケードからちょっと外れたところにあったパチンコ屋のしもた屋。➡ 場所

不思議な雰囲気の建物だ。もしかして元芝居小屋?

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アーケードを離れて、古そうな家並の続く道へ入ってみる。➡ 場所

多くの家が入母屋で、妻を通り側に向けている。

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港を出入りする人々が利用した旅館や料理屋のしもた屋と思われる白壁の家々。➡ 場所

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舟つなぎ石と呼ばれる石柱があった。➡ 場所

こんな繋ぎにくい場所にあるのは不自然で、単なるいけず石ではないかと思うが、かつてはアーケード街の東側まで海岸線か船だまりが来ていたということなのだろう。

案内板によれば八幡浜は伊予の大坂と呼ばれるほど繁栄した港だったという。

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狭い路地。

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さて、この街で目に付くのが、商家の1階の庇にある持送り板だ。

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古い家のほとんどに付いている。➡ 場所

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持送り板の近影。

庇を支える腕木が比較的細く、大きな持送り板で保持している。これは商家が豊かさを競って造ったのだろう。

屋根の上に載せる卯建(うだつ)と同じ意味合いのものだ。港町では道が狭く、屋根の上に装飾をしても見えないことから、このように1階部分に装飾が造られるようになったのではないかと思う。

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神社仏閣で使うような雲模様。

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年代は比較的新しそう。

多くは大正時代くらいではないか。

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古典復古様式の洋館の廃医院があった。➡ 場所

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もと料亭かな。➡ 場所

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鬼板に鶴がいた。

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猪目模様のある持送り板。

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急斜面にも家が並ぶ。階段に突き当たる路地。➡ 場所

山の上に見える天理教っぽい建物は、地図によれば保育所。2階建てが大げさすぎるから、もとは市庁舎かなにかの公共建築だったのではないか。

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鍼灸院の建物は土蔵で卯建(うだつ)が上がっている。➡ 場所

この街では卯建は珍しい。

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鍼灸院の隣りにあった蔀張(ぶっちょう)造りの家。➡場所

蔀戸の民家で、徳島の南部の海岸沿いによく見られる。上下2枚の(しとみ)を閉じると、雨戸になる。

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看板に「坂本齒科醫院」ってあるけど、料亭居抜きの歯医者か。➡ 場所

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角を45度に切った家。➡ 場所

屋根の納め方が複雑。

八幡浜はわざわざ遠くから町並みを見に行く街ではないけれど、散策したら色々な発見がありそうだ。

廃医院、パチンコ屋、高島屋は2022年現在もうなくなっている。

(2008年09月14日訪問)