大光普照寺・金鑽大師

別格本山であり金鑽神社の神宮寺。

(埼玉県神川町二ノ宮)

2014年の春は例年と違って「平成26年豪雪」の被害からの回復とミャンマーでの2度目の仕事の準備でてんやわんやの状況がつづいていた。それでもひさしぶりに休日がとれたので、気晴らしに一日、児玉方面に遊びにいくことにした。

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最初に訪れたのは金鑽(かなさな)大師・大光普照寺。

概要は写真の案内板の通りなんだが、こういうお寺の由緒書って苦手だ・・・。開基が誰で中興が誰で、戦国武将の誰の庇護があったとか、あまり関心が持てない。寺の由緒って実際こういうものだから苦情をいうことでもないのだが、興味がないからちっとも頭に入ってこない文章なのだよね。

ざっくりいうと、この地域は天台宗が盛んで、平安中期に良源がこの寺に滞在したので元三大師(がんさんだいし)の二つ名で呼ばれるようになったというようなことだ。

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寺の住所は埼玉県だが、私が生まれ育った群馬県との県境に近い場所にあるので高校時代に何度か自転車でお参りに来たこともあるなじみのあるお寺だ。

1月3日が縁日でだるま市が立つというがその日に来たことはない。ただ、そういう寺なので駐車場は広く、30台くらいはおけそう。

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山門は高麗門。

高麗門とは、門の内側に小屋根があって門扉を開いたときにその小屋根の下に門扉が収納される構造の門。

この日は開門していなかった。たぶんいつも閉まっているのだろう。参拝者は袖塀の潜り戸から境内に入れる。

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寺の伽藍配置はちょっと変わっていて、山門を入ってそのまま直進すると山へ登る道になっている。

本堂は入って左側にあり東面している。

山門は街道に面して南面しているのだから、本堂も南面させればよさそうなものだが。もしかするとかなり古い時代には、いまの国道462号の峠は神域で通れず、寺は児玉方面から来て山のどん詰まりだったのではないか。

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成り行きで先に山のほうへ行ってみた。

途中に鎮守社がある。

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鎮守社の隣には「行軍戦歿者(せんぼつしゃ)忠魂供養塔」という碑がある。明治37年に日露戦争の戦没者慰霊のためにお寺で建てたもの。

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この道を登った先には鐘堂と、、、

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土蔵造りの薬師堂がある。

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道をさらに進むと小さな地蔵堂があり、その先は墓地になっていた。

基本的には観光客が登る道ではないな。

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下って、本堂のほうへ入る。

境内は東面していて、あらためて中門がある。

中門も高麗門だ。

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中門を潜るとすぐ右にヒョウタン型の放生池。

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左側には水盤舎がある。

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放生池の横には護符売り場と客殿。

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本堂は江戸後期の文化5年(1808)に再建されたと伝える、正面7間の大きな建物。ただ、全体的によくメンテナンスされている、つまり、改修もされているので外観からは時代を感じない。

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でも唐破風の懸魚などの彫り物は立派だ。

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木鼻も獅子の彫り物になっている。

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本堂内はゆるい密教形式。欄間の彫り物も見ごたえがある。

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内陣の欄間にも彫り物。

通常、本堂の内陣には本尊が祀られるが、再建した時代にはもう元三大師として名を馳せていたので、中興の祖・良源が祀られているという。

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外陣には賓頭盧尊者。

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小さなだるまにおみくじが詰められたものが売られていた。

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おみくじを読んだあとはだるまを持ち帰ってもいいのだろうが、みくじ結びのところに奉納している人もいた。

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信徒休憩所、もしくは、茶屋かな。

縁日の日に来たら開いているのだろうか。

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駐車場の横には公園とトイレがあった。

(2014年05月25日訪問)