小川町の中心街からそのまま西へいく古い道があり、その道は舌状の丘陵をゆるゆると登っていく。
この道をきょう初めて通ったが、小川町の一等地みたいな独特の雰囲気が感じられた。
その道を登りつめたところに鳥居がある。八幡神社の鳥居だ。
その鳥居を過ぎても神社まではまだ400mほどある。
途中は住宅地。かつては農地だったかもしれない。
神社へはなぜか境内の横に突き当たる。
なんでこんなレイアウトになったのかよくわからない。神社が先にあって、後から東参道ができたのだろうか。
伝説によれば、この神社は守邦親王が鎌倉の鶴ケ岡八幡宮を勧請したのが始まりだという。
守邦親王は鎌倉幕府最後の征夷大将軍で、幕府が滅亡したとき鎌倉を脱出。慈光寺を頼って出家し、小川町に潜伏したがわずか3ヶ月で病没してしまう。
後の人々は守邦親王を偲び、鶴ケ岡八幡宮にちなんでこの神社の境内で流鏑馬や草競馬を開催するようになったという。
もしかして東参道が馬場だったのかな。
神社の正面は南向きだが、南参道は狭い峠道に突き当たっていてどこにも通じていない。
一応、南参道から神社を見ていく。
これが二の鳥居なのかな。
鳥居を入ると右側に土俵がある。
境内はかつて子どもたちの遊び場だったのだろう。遊具の太鼓雲梯がぽつんと残されていた。
境内は1ヘクタールほどの森で、二の鳥居から拝殿までは約100m。
途中、左側に神楽殿がある。
神楽殿の前には水盤舎。
神楽殿。
神楽殿の先にはたくさんの末社がある。
手前から、産泰神社、琴平大神、天手長大神、秋葉大神、天満宮。
拝殿前には注連柱があり、その上には鳩が置かれている。
鶴ケ岡八幡宮の縁起として、宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神を勧請するときに鳩が道案内をしたとされる。
この神社もそれにちなんで神鳩を置いたのだろう。
鳩の手前に配置されている狛犬。
鳩の後ろに配置されている狛犬。
拝殿の背後は幣殿を経て流造の覆屋になっている。
覆屋の中の本殿も流造りだった。
本殿の左側にも末社のアパート。
アパートの右側には稲荷社。
素焼きの狐が奉納されている。
拝殿の右側には社務所。
これは公民館を兼ねた建物ではなく、純然たる社務所だ。
さらにその右側には社家。
社務所の横を通っていくと球場になっている。硬式野球ができるけっこう大きなグラウンドなのに、たぶん入口はこの社務所の横を通るしかない。
言い方を変えれば、神社の本殿のすぐ裏にグラウンドがあるということだ。
ホームから見て、神社の本殿は三塁側の外野席みたいな位置になる。
神社の本殿の裏になんとBSOボードがある。
打球がこの柵をボールが越えて境内に入ればホームランなのかな。
(2026年01月21日訪問)
