JR高崎線が麦畑の中を走っている。ここは埼玉県上里町である。
群馬県から国道17号線旧道で埼玉県に入るとすぐに、JR高崎線のガードを潜る狭い道がある。
本当に狭い道なのだが、群馬県から児玉町へ行くための信号機の少ないルートであり、私はけっこうな割合で通行している。
このJRのガードを潜ってすぐに大光寺という大きなお寺がある。
このお寺では、毎年4月23日に蚕影山の例祭がにぎやかに執り行われるというのでやってきた。毎年、4月下旬は仕事の繁忙期なのであまり遠出できる気分ではないのだけど、2年続けてこのお寺を訪問している。でも今年もCOVID-19の影響で例祭は中止のようだ。
境内には露店はおろか、参拝客のひとりとていない。
去年は例祭中止の張り紙が出ていたが、今年はその張り紙すらない。本当にこの例祭は再開されることがあるのだろうか。
祭りはいずれいつか見られたら改めて紹介するとして、きょうは仕方がないのでお寺の部分を見ていこう。
山門は袖塀付きの四脚門で、門の内側にも腰壁みたいな真壁があるめずらしい造り。
山門を入ると左側に鐘堂と阿弥陀菩薩座像。
鐘堂の右側には
神流川に渡しがあったころ、灯台として使われていた常夜灯を移設したものだという。
正面に本堂。
参道の途中には摩尼車がある。
時節柄、消毒液が設置されている。
早く平常な世の中に戻ってほしいものだ。
本堂の左前には閼伽井屋。
閼伽井屋の中に大釜が置かれている。お盆の地獄の釜の行事にでも使うのかと思ったら、これは旧加美村農協で醤油づくりに使っていたものが奉納されたものとのこと。
閼伽井屋の前には六地蔵。
本堂から右側祖見て行く。
本堂の右には玄関と客殿。
その右側には庫裏。
庫裏の前には井戸。
そのさらに右側にも人の出入りがありそうな建物がある。祭りの際に使う信徒休憩所的なものか。
境内の中心には百観音石仏がある。
個人的には、このお寺の最大の見ものだと思っている。
ピラミッド形状の4面に浮き彫りの観音像があり、これを拝めば秩父、西国、坂東の合計百ヶ寺に参詣したのと同じ御利益が得られるというもの。
ひとつひとつの観音像は少しずつ造形が違っている。
例祭の由来である蚕影山神社は境内の築山の上にある。
参詣路は放生池の石橋を渡るようになっているのだが、石橋が壊れかけているため通行止めになってしまっていた。
山上には別ルートから登れるので、本来の参詣路を振り返って見た。
この築山は何なのだろう。
築庭の築山にしては大げさ過ぎ、古墳か何かと思う規模だ。
この寺の敷地は、戦国時代に館だったというからこの小山は物見台だったのかもしれない。
こちらが蚕影山神社。
蚕影山神社は筑波山の近くに本社のある養蚕の神様だ。北関東では養蚕が盛んだったから、その御利益を求めてお祭りには多くの農家が訪れたのだろう。
蚕影山神社の前には末社の天満宮。
神社の周りは新しい石垣が作られている。
続いて、本堂の裏側方面へ行ってみる。
本堂の裏側でまず目立つのがこの無縁仏ピラミッド。
内部に入れるような構造になっているのがめずらしい。
納骨堂も兼ねているのかもしれない。
ピラミッドを構成する墓石は額縁付きの櫛形が多い。
頂上には地蔵菩薩の立像があり、頂上付近は船形の墓石が取り巻いている。
中々に見ごたえのある無縁仏ピラミッドでだ。
ピラミッドの背後には
無縁仏堂というような意味である。
内部には「倶会塔」と彫られた石塔が1基だけあった。
ピラミッドの前には大きな板碑型の墓石が並んでいる。
明治時代の警察官の墓というものがあった。
明治時代にコレラが流行したとき、衛生の啓発のため村々を回った巡査が、自らもコレラに感染して亡くなったのを供養したもの。
境内の一番奥には、武蔵七党の一党という勅使河原氏霊廟がある。
霊廟の門は、この寺の総門を新築したときに旧門をここに移設したもだという。
年代は江戸後期くらいかな。
門の左側には六角宝憧と地蔵菩薩を彫った板碑がある。
(2022年04月23日訪問)
日本のお寺・神社 絶壁建築めぐり
単行本(ソフトカバー) – 2019/6/22
飯沼義弥 (著), 渋谷申博 (監修)
本書は秘境に建つ懸造りの中から選りすぐった100か所の寺社建築をすべて写真付きで掲載します。寺社好きのみならず秘境好き、建築好きにもおすすめの1冊です。
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