旧六合村の赤岩集落。3年前(2006年)に重伝建に指定された。
私は近年の重伝建指定は、テーマパーク化、店舗化することを後押しすることで古建築を保全しようとするシステムだと考えており、あまりよい印象を持っていないことはこれまでも繰り返し表明してきた。
もちろん、古い建築を観ることはおもしろい。でも個人的には終わった産業の生産施設が消えていくことは、それでかまわないとも思っている。
ここ赤岩は養蚕を主体とした山村の集落として指定されたが、赤岩に養蚕を営んでいる家があるかといえはば1軒も残っていない。
じゃあ、群馬県内には養蚕農家はないのかといえば、まだ1,000戸ほどの農家が残っていてそれなりに営農している。でもそういう農家は軽量鉄骨の平屋の倉庫みたいな建物で効率的に養蚕をしているからつまらない、学びがないというのが、古建築観賞界隈の限界ではないかと思う。私たちが「赤岩の3階養蚕農家おもしろい!これこそ日本の原風景!」と感動している一方で、群馬県では毎年2割ほどの勢いで養蚕農家戸数は減少しているのだ。
北側駐車場付近には高灯籠みたいなものと水車小屋がある。
立地的にもともと水車小屋があった場所ではなさそう。
交付金が出そうだから建てましたという感じか。
でも集落共同の作業小屋として使われてそうなので、これはこれでいいのだろう。
町並みは全体で500mくらい。
歩いて見学する。
途中にあった毘沙門堂。
途中で見かけた双体道祖神。
旧六合村地区は双体道祖神の宝庫なので、たぶんそれだけを目当てに訪れても楽しいと思う。
さて、養蚕農家の建物を見ていこう。
多いのは総二階
こんな雰囲気の農家のほとんどが昭和40~50年ごろまで確実に養蚕をしていたし、昭和の終わりでも群馬県では農家戸数の20~25%が養蚕に関わっていたのだ。
異彩を放っているのは街の中ほどにある湯本家住宅。
こちらは文化3年(江戸後期)築とされる建物。ただし、明治30年に3階が増築されたので、この要塞みたいな民家が江戸時代に実在したわけではない。
目立った3階建て民家。
実際は3階部分は小屋裏で、養蚕をしても小屋束や貫だらけで作業は大変だったと思う。でも実際に束だらけの小屋裏で蚕を飼ったという人の話を実際に聞いたことがあり、養蚕が儲かった時代には1頭でも多くの蚕を飼いたかったので無理ができたという。
通常の2階建てに見える出梁造りの民家でも、2階から小屋裏に登る階段があり内部は実質3階の場合が多い。3階部分が蚕具などを収納するスペースになっていることがほとんどだ。
でも思えば、庄屋の家とかでない、明治~大正のありきたりな総二階切妻養蚕農家を隅々まで見学できる展示民家って群馬県にあったかな? すぐに思い浮かばない・・・。
商店を営んでいる家。
元は養蚕農家だったろう。
こちらは3階に開口部を持つ家。
こういう外観の家はおそらく天井高が2m程度の踏み天井の3階建てで、3階部分は屋根裏ではなく、ちゃんと部屋になっているのだろう。
小屋裏に比べれば作業はしやすかっただろうが、3階まで桑を運び上げたり廃条を運び出したりするのは重労働だったろうと思う。現代の養蚕では2階以上の場所で幼虫期間を飼育することはほぼない。
町並みの南半分は高低差がある。
街道に面して土蔵が多いというのも赤岩の特徴だ。
蔵が建つほど養蚕が儲かったということを物語っている。
町並みのはずれて見かけた石祠。
丸石が奉納されているのが気になった。
(2009年05月01日訪問)
