谷之口稚蚕共同飼育所のあった村上集落からさらに山に入ったところに「谷後」という字がある。ここは集落からさらに山を登った奥の行き止まりの開拓地で、偶然通りかかる場所ではない。この場所には個人所有の水車小屋があり、きょうはそこを見せてもらおうと山を分け入ってきたのだ。
この水車小屋を偶然見つけたのは1985年ごろ。そのとき持ち主のおじいさんに話を聞いたのだが、なにせ私もまだ若く突っ込んだ話はできなかった。次に訪れたのは2001年だったが、夕方だったので訪問するのははばかられた。
そしてきょうは2009年のGW。
前回の訪問から8年が過ぎていた。私もその間に経験値も増えたから、必要な情報をすべて聞き出せるようになったはず。
群馬県で稼働している非観光の水車はここくらいしか思い当たらないから、きょうは根掘り葉掘りインタビューして完全な記録を残したい。
これが水車がある水路。チョロチョロしか流れていない。
水車小屋というと、今の人は安曇野のわさび農園にある水車小屋を想像してしまうから意外かもしれないが、多くの実用水車はこのくらいの水量の水路に造られているのだ。
安曇野の水車小屋は、あれは映画のオープンセットなのだよね。現実にはあのような水車小屋はありえない。
家を訪問しようとしたら、以前と様子が変わっている。
どうも空き家になってしまっているようなのだ。
敷地の除草などの管理は多少はされているので、まったくの廃虚というわけではないが、生活している様子がない。
雨戸が閉じられているが、きのうきょうにいなくなったという様子でははない。もう数年はたっていそう。
個人的に、ここは群馬県で最後の稼働中の実用水車だと思っていたのでちょっとショックだった。もしかして、もう群馬県には実用水車は残っていないのでは・・・。
もう少し早く来るべきだった。
せっかくなので最後の写真を残しておこう。
水車小屋は主屋の右前の石垣の下に建っている。片側は石垣なので半地下のような感じ。
小屋の上側から水輪があった場所を見たところ。
水輪の形式は1対の箱水車。すでに水輪は失われている。
軸受けはコンクリート。
小屋の入口。
軸受けを見ると鉄棒になっている。摩擦を最小にするためだろう。
臼と杵。
稼働していたころの様子は前回の記事にあるので、そちらを参照してほしい。
こうして最後の様子を写真に残すことはできたけれど、結局、私はやることがすべて遅すぎるのだ。
(2009年04月30日訪問)
