これが金丸座。
現存する芝居小屋としては日本最古といわれていて、国重文。
オデオン座と同じように、末期は映画館に改装されていて内部はだいぶ様子が違っていたと思われる。もともとは現在の琴平町立歴史民俗資料館の場所に建てられていたのを1976年にここに移築し、旧態に復元した。
現在、内部は考証にもとづいて、建築当初の姿に戻されている。大阪の道頓堀にあった大型の芝居小屋を参考に造られたといい、建築空間としてとても見ごたえがある。
入場料は500円。
公演はめったにないので、いつ行っても舞台や奈落などのカラクリをじっくりと見学できるのがありがたい。
これからこの建物にびっしりと仕込まれたカラクリを見ていこう。
舞台前の畳敷きの席を「
これに対して、左右の2階建ての部分の席を「
古い時代の観劇は露天で、平場は芝生の自由席で、桟敷が指定席だった。平場の芝生に座ることを「芝居」といったのが芝居という言葉の起源だ。
平場は全体がゆるい傾斜になっている。
平場を横断する手すりは1列おきに幅が広く、上を歩いて目的の席まで行けるようになっている。
この広い板を「歩み」という。
客席の上部は天井板がなく、「ぶどう棚」という竹組みで覆われている。
一般的にぶどう棚は舞台の上に作られ、紙吹雪などを降らせるための足場なのだが、金丸座はそれが客席の上にまで続いているのが特徴だ。
客席にも紙吹雪を降らせる演出が可能なのだ。
平場の両端には「花道」がある。
舞台の
花道の途中、写真で「四」の札がある箇所から、桟敷に向かって橋が架かっている。この橋を「渡り」という。
花道の途中には、役者がせり上がるエレベータがある。このエレベータを「スッポン」という。
芝居小屋の床下は「
仮花道側にはスッポンはない。
本花道と舞台の接合部分には一升分の大きさの箱のようなものがある。
これは「
スッポンは役者を板に乗せて4人の男が「うりゃっ」という感じで持ち上げるのだが、空井戸には上下する仕組みはなく、役者が屈んで隠れるような空間があるだけ。ただし奈落には通じているので、この箱の中にじっとしている必要はない。
天井に下がっている白い提灯は「顔見世提灯」と呼ばれる。現在はぶどう棚の上に蛍光灯がついているが、かつては高窓の開け閉めと、提灯の明かりで上演していた。
本花道の真上にキャットウォークがある。このキャットウオークは「かけすじ」と呼ばれるレールだ。この上を台車が走り、役者を吊り上げる。役者が空中を浮遊する場面が可能になる、いまでいうワイヤーアクションのカラクリだ。まったく、江戸時代によくもここまで面白いことを考えたものだ。
舞台へ上がる。
回り舞台が切ってある。
舞台の転換は古い時代は舞台の四角の床全体を回転させていたのが、江戸中期ごろ丸く切り欠いた床を回す構造が現われた。日本独自の発明だといわれている。
回り舞台にある「セリ」。
役者さんが登場したり退場するためのエレベータだ。
スッポンと同様に人力で上げ下げする。
舞台下手側。
ここには安い観客席があり、1階を「羅漢台」、2階を「吉野」というらしい。浮世絵などにその様子が残っているが、舞台を横から観るというよくわからない席だ。現代では観客席はない。
舞台下手(左)には斜めの壁を持つ、2階建ての部屋のように見える部分がある。
ここの1階は「
囃子場には三味線の奏者が、ちょぼ床には歌手である
舞台上手(右)の2階にはロクロという装置がある。
舞台上の大戸具などを吊り上げるための綱巻き胴が3本ある。これも人力で回転させる。
舞台の裏側の楽屋へ。
舞台裏には廊下があり1階は衣裳部屋などが並ぶ。
1階の角部屋は風呂になっていた。
舞台裏の2階の部屋へ上がる。
ここはそのひとつ「大部屋」。演者の控室だ。
舞台裏の廊下には2階廊下もある。
この廊下は楽屋の一部ではなく、舞台装置。
舞台の中で、遠くの景色に人がいる場面で役者が立つためのセットの一部で「
竹の手すりは見学者が転落しないように仮設されているもの。
続いて、床下へ降りる。
芝居小屋の床下を「
回り舞台の下部。
上から下がっている棒に肩を当てて押すのだ。
踏ん張れるように地面に石が並べてある。
セリの下部。
いまエレベータが上がった状態になっている。
空井戸の下部。
空井戸の中。
狭いなあ・・・。
スッポンの下部。
エレベータは垂直のレールのようなところを上下する。いまはかんぬきで落ちないように固定されている。
続いて、2階桟敷へ。
複雑な段差に萌える。
向こう桟敷は3段になっていて、下から「前舟」、「中舟」、「後舟」と呼ばれる。
後舟は桟敷を仕切る手すりがない自由席。人数制限がないため「
2階桟敷から平場を見おろしたところ。
建築物として芝居小屋を見るとき、一番好きなアングルだ。
2階桟敷には廊下があり、升席の後ろから席に入れるようになっている。
こちらは右桟敷の2階。
こちらは左桟敷の2階。
向こう桟敷の壁にハシゴがあり、窓のようなところに登れるようになっている。
この窓の外にバルコニーがあり、ここで触れ太鼓をたたくようになっている。
公演が始まることを告げる太鼓をここで叩くのだ。
金丸座は、芝居小屋のカラクリがひと通り揃っているので、芝居小屋建築を理解するのにとてもよいリファレンスモデルだ。
でもここでひとつ心に留めておきたいことがある。
徳島ですでに紹介してきた元芝居小屋もこうした内部構造だったと思われるが、映画館に改装され中途半端に近代化されてから廃業した建物は、一般人から見れば小汚い廃虚にしか見えないということだ。金丸座は膨大な予算をかけて完全に復元したから価値ある物に見えるだけで、あまり知られていないありのままの小屋はたぶん全国にたくさんあって、これからも日々取り壊されていくはずだ。
だからこの金丸座を見て覚えたならば、その「目」で身近な地域の芝居小屋を見いだして行きたいものである。
(2005年11月19日訪問)