東谷川の流れ橋

わらび畑へ渡る小さな橋。

(徳島県つるぎ町半田上蓮)

半田川の支流、東谷川を分け入った奥のほうで、小さな流れ橋を見かけた。橋桁は木造で、岸にワイヤーでつながれている。大水が出たときに流れ去らないようになっているのだ。

対岸はワラビ畑、手前は茶畑になっている。茶はたぶん自家用だと思うが、ワラビ畑はかなりの広さで、収穫シーズンにはつつましく暮らせるくらいの売上げにはなるのじゃないか。

そうはいっても雑草がほぼないくらいにきれいに草を抜いてあるので、かなりの労働時間はかかりそう。魅力的な作物なのかどうかよくわからない。この地域の主要な産業は林業だと思う。換金作物は近年までは葉タバコだったはずで、林業の傍ら現金収入のために畑もしただろう。タバコがジリ貧になると、その転換作物としてワラビやタラノメといった山菜類が推奨され、農協から指導があったのではないかと想像する。

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私は都市生活者だから山間地の林業を主体とした生活というものは理解できないのだが、常々疑問に思っていることがある。林業は杉や檜を育てるのにかかるコストを適正に換算しているのだろうか、ということだ。もちろん林業の会計基準で造林の経費は数字で明らかにされているけれど、一般の会社で発生している人件費はとかけ離れていて、現実に山の人々の数十年の人生をまかなえているのかがどうにも想像できない。

かつての山の暮らしでは、買わなければならないのは塩くらいというようにほとんど自給自足だった。それは100年、200年も昔の話ではなく、ほんの50年くらい前のことなのだ。つまりいまから切り出そうという杉や檜が造林された年代だ。当時は自家用車や家電を買うこともなく、子どもを大学まで行かせることもまれだった。大麦やイモなどを白米の代わりに食べていたような話を実際に聞くこともある。そんな自給自足的な人生を基準にして、林業はこれまで成り立ってきたのではないか。

おそらくこのワラビ畑や茶畑や流れ橋は、長く四国山地で培われてきた「山で生きる能力」が生み出している風景なのだと思う。

ここではまだそういう能力のある人々が暮らしているということなのだ。

(2005年05月29日訪問)