三島神社

眉山の北端の尾根にある神社。

(徳島県徳島市西大工町)

きょうは、タウン誌『あわわ』の連載の第1話のための取材でもある。編集部からはデザインされたマンホールの記事を書きませんかと言われたのだけど、企画モノにはあまり興味がなかったので丁寧にお断りし、かわりに「小さな城」を提案した。

マンホールといった話題作りのために行政で企画書が書かれ、予算が付いて、見せるために設置されたものに乗っかるのは自分の性に合わない。あまり人々が目を向けないものを見ることが路上観察の楽しみだと思っているからだ。

眉山城は以前から気付いていて2世代前のデジカメで写真を撮っていたが、出版物に載せるにはキレのない写真だったので、きょう撮影をやり直している。これから一日かけて第1話で使う写真を撮るつもりだ。

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さて、眉山城の石段は神社に通じている。

せっかくだから神社にもお参りしていくか。

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眉山城のほうから登ってくると、拝殿横の神社の裏口に出る。

神社の名前は三島神社。鎌倉時代にこの界隈を統治していた伊予国の地頭、河野(かわの)通久(ひさみち)が、愛媛の三島大明神を勧進したものだという。

本殿と拝殿は一体化していて、切り妻平入り、裳階付き、千鳥破風向拝付きという粗っぽい造り。

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神社境内にも銭湯の御主人が作ったと思われる灯籠が奉納されていた。

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境内にある末社、天目一(あめのまひとつ)神社。

鍛冶の神だという。このあたりの地名は大工町というので、職人が進行していたのだろう。

この神社の裏手から眉山の山頂へ登る登山道がある。

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末社の狛犬。

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もう一体。

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裏から境内に入ったので、表から出てみた。

こちらが表参道になる。

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鳥居をくぐったところに文化財の看板。

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河野通久がここに神社を勧進したときのものだと考えられている。

鎌倉時代初期の作ということになる。材質は砂岩で、たくましい感じ。

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吽形。

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お尻がブロック塀にめり込んでいるのがかわいい。

(2008年03月02日訪問)