サッカー青年たちが教えてくれた洞窟は発見できたのだが、やっぱり最初に目指していたお寺が気になった。衛星写真では寺へ行く道もはっきりしなから小さな無住のパゴダがあるくらいだろう。なによりも地元の青年たちが「この山に洞窟はない」と明言したので、あまり期待もできない。
でも、虫の知らせというか、長年の勘のようなものが「この寺には行っておいたほうがいい」と言っているのだ。
引き返して、お寺を目指すことにした。
ルートは❶、❷が考えられる。ルート❷は筋状のものが見えるのだが、さっきサッカーをやっていた僧院から奥へ行こうとしたら道らしきものはなかった。筋状のものは道ではなく川かもしれない。となると残るのはルート❶だ。
こちらも道とはいえないような踏み分け道だが、オートバイが走ったような跡がある。
片側はヤブ、片側は低湿地で、こんな先に寺があるとは信じられないような頼りない道だ。
この道、たぶん雨季には車両は通れないと思う。
しばらく沼のへりを進むと、土橋があり、寺が見えてきた。
あれ? 洞窟あるじゃん?
あの青年たちは何だったんだ?
寺の名前はティリィヤダナシュエグウ僧院。「グゥ」は洞窟なので、洞窟の名前は「シュエ洞窟」か。
お寺は質素な僧房と食堂があるだけ。
お坊さんが出てきたので、洞窟へ入る許可をもらう。
洞窟へ登る参道のベンチにバナナが置かれていた。
洞窟は少し標高があるが石段になっているので苦もなく登れる。
本来はここで履物を脱いでいくのかもしれないが、洞窟の中の様子がわからないのでサンダル履きのまま登る。
石段の途中には行者と思われる像があった。これまであまり見たことがない行者だ。
洞窟の入口へ到着。
洞口はT字型になっているが、縦の溝は人工的に開削した部分ではないかと思う。
おっ、意外に中は広い!
洞口からは下りになっている。これまでにあまりないパターンだ。
中には3体の仏陀が祀られているのが見える。
お寺の鍾乳洞はパゴダと同じ扱いなので、洞口で履物を脱ぎ裸足で石段を降りていく。
ただし奥のほうへ入るつもりなので履物は手に持って。
天井の鍾乳石がまるで天蓋みたいになっているのを利用して須弥壇が作られていた。
ゴザが敷いてあるのでそこで跪拝。
須弥壇の隣りに扉のついた部屋のようなものがある。瞑想所だろうか。
この須弥壇から奥がまだ続いているので、履物を履いて進むことにした。
鍾乳石はかなり立派だ。
コウモリの声がしている。
この狭い隙間を通ってさらに奥へ入れる。
天井にはコウモリの群れ。数百匹くらいいるだろう。
さらに進むと光が見えてきた。貫通型の鍾乳洞なのだ。
あっちへ行くには、一度手前のホールに降りなければならない。面倒だけど安全な場所を伝って下まで降りた。
反対側のリムストーンによじ登って光の方向へ進む。
大きな洞口は高いところにあって登れそうにない。
下の部分に人間ひとりがやっと通れるような隙間があった。まるで人間のスケールにあわせて作られたような不思議な空間だ。
鍾乳洞にはときどきそんなことを感じてしまうような構造がある。そこがまた神秘なのだ。
反対側の洞口から出たところはヤブだった。
でもケモノ道のようなものがあるから、下の道まで行けそうな気もする。
洞窟の全長は150mくらいか。
反対側の洞口を外からみるとこんなだ。この先にあんな大きなホールがあるなんて想像しにくい。
だとすればやはりこういう隙間にも入ってみるべきなのだろう。
サッカー青年のいうことを鵜呑みにせず、最初の目的を貫いたおかげでこんな立派な鍾乳洞を見ることができた。やっぱり粘り強さは重要だ。
さて、この洞窟への道だが❶のルートで行くのがいいだろう。ただし雨季には車両の通行は無理と思う。(そもそも雨季にはナッコン村へ行くのがむずかしいのだが。)
洞窟出口から東側を見た風景。
湿地と潅木が地平線まで繋がっている。パアン郊外の典型的な地平線だ。
(2019年03月16日訪問)
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近田 文弘 (著), 久保 秀一 (写真)
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