殿河内の境界桑

土中育を経験したという農家の畑だった。

(島根県雲南市三刀屋町殿河内)

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きょうは一番可能性が高かった桜江町であてが外れ、根本的に戦略を練り直そうと松江の宿に向かっていた。

すると三刀屋町の殿河内(とのごうち)という字に差し掛かったところで、道ばたに境界桑が見えた。野良仕事をしていた老夫婦もいたので車をとめて話を聞いてみた。

5年前の旅で訪れた禅定寺のすぐ近くである。当時、まったく別の目的でまたこの場所を訪れることになろうとは思ってもいなかった。

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ご夫婦は昭和55年(1980年)ごろまで養蚕をしており、この家の前の畑は以前は桑畑だったそうだ。家のまえの道路が整備され明渠が掘られたときに土留めとして境界に桑を残した。

土中育について聞いてみたところ、やったことがあるという。後片づけが大変なので1回でやめた。家の庭から少しさがったところに穴をほってその中で飼育し、飼育が終わったあとは廃条ごと土をかけて埋めるのだそうだ。近くに秦義弘さんという養蚕指導員がいて、熱心だったそうだ。

土中育をしたのは1回だけでそのあとは野外育に切り替えた。庭に2段の棚を立てて、1蚕期で110kgほどの収繭、春夏秋の3回の飼育だったという。土中育も野外育も、桑を枝ごとカイコに与える条桑育(じょうそういく)という給餌方法だった。

上蔟(じょうぞく)という作業がある。カイコを蚕座(さんざ)という飼育場所から、繭を作らせるための(まぶし)という用具に移動させる作業だ。この家ではシイノキの枝を使った一種の自然上蔟をしていた。葉のついたシイノキの枝をたくさん準備しておき、蚕座の上に敷き詰める。繭を作る準備ができたカイコは食料である桑の葉を離れ、シイノキの枝によじ登る。その枝ごとカイコを運び出して、払い落とすのだという。

その当時はコメ、カイコ、ウシをやっていた。繭は1キロ2,000円くらいで、あまり高くはなかったがお金にはなったからこのあたりの農家はみなカイコを飼った。近くに稚蚕飼育所があり、殿河内の集落の50~60件ほどの農家が共同で稚蚕を育てていたという。

最後の最後で、貴重な話を聞くことができた。

さて、前回の島根の旅から今回の旅までは5年が経っている。その間、いろいろなことが変わったが、大きく変わったことのひとつが、携帯電話がガラケーからスマートフォンになったことだ。旅先でもWebを検索して情報収集できるというのは大きな変化だった。

この旅のときには iPad が発売されて半年経っており、初めてドライブマップを持たず、タブレット端末だけを頼りの旅となった。後になればどうということはなく聞こえるが、市街地を外れれば電波が届かない場所だらけで、GoogleMapsも情報が少なく、Webブラウザはやっと落ちずにページをブラウズできるようになってきたという時代だった。この夜は湯村温泉に入ったのだが、電波が入らず、暗くなってから目的の温泉が見つからず大変な苦労をした。

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もうひとつ今回の旅で趣向を変えたのが宿泊先。前回までの旅では長期滞在型の民宿が定宿だったが、今回はお堀ばたにある激渋旅館、大巾屋に宿をとった。むかしの旅籠もかくやと思わせる古い木造宿だ。

夕食は外で済ませ、スーパーで買った木次(きすき)牛乳を飲みながら明日の作戦を練ることにした。木次牛乳は三刀屋町の隣町の木次で作られている牛乳。低温殺菌で非常に美味。高級牛乳ではなく、学校給食にも使われる普通の牛乳としては、日本でも随一の牛乳ではないかと思う。

(2010年09月19日訪問)

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