きょう最後の訪問地、
奈良時代創建という寺伝があるが、詳細は不明。本尊は平安仏(国重文)なので平安時代にはすでにあったのだろう。戦国時代に消失し、江戸初期に復興したという歴史を持つ。宗派は天台宗。
時刻は18時半。デジカメの写真を増感しているので、明るく見えるが、すでに日が暮れていて夕闇が迫っている。
山に登る車道の途中に総門の八脚門の仁王門がある。
この仁王門から先は道がかなり急で、乗用車がやっと上れるくらいの斜度になっていく。
総門の脇に伽藍配置図があった。
堂の数が多く、しかも点在してそう・・・全部見れるのかね・・・。
山門の下あたりに駐車場がある。
石段の横は高い石垣で、山寺といってもかなり立派な寺だ。
石段を登ると、一間一戸楼門がある。
楼門から右のほうへいくと庫裏、納経所がある。
この庫裏の前からは山並みを一望できる。すばらしい眺望。
標高の低い山並みがどこまでも続いているような中国山地独特の景観だと思う。
施餓鬼台というものがあった。
中国浙江省の寺から寄贈されたもので、食事の一部をこの台の上に置き、施餓鬼を供養するものだという。
日本では、季節のものとして木や竹で棚を作るが、このような石造物は見た記憶がない。
本堂は方3間の宝形造に近い寄棟造り。
寺の再興は江戸初期というが、本堂や楼門はそこまでの時代感はなく、行っても江戸末期くらいではないかという気がする。戦前~明治かもしれない。
本堂の右側には香炉堂と稲荷社。
稲荷社近影。
稲荷社の近くにあった弁天社。
本堂の右側には薬師堂と収蔵庫。
あれ? 伽藍配置図では山中に点在してそうに描かれていた諸堂が、ほぼ一ヶ所に集まっている。だいぶ大袈裟な伽藍配置図だったな。
石造五重塔。
蔵王権現社。
この寺で一番雰囲気のよいお堂だった。
時間が遅かったため、少し慌ただしくなってしまった。
禅定寺と似たな感じの山寺を山口や広島あたりでいくつか見てきた。これが中国地方の名刹のひとつのパターンなんだろうな。
きょうは猛暑で日中はへろへろになり、夕方近くにボイスレコーダーのデータが飛び、心身ともに消耗した一日だった。
これから三刀屋町で夕食を食べ、どこかで日帰り温泉にでも入ってから、松江市の定宿へ帰ることとしよう。
(2005年09月02日訪問)
図解/古建築入門: 日本建築はどう造られているか
単行本 – 1990/11/1
西 和夫 (著)
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寺院建築の架構が最も理解しやすく書かれている本だと思います。