長府地区の寺町を形成している旧山陽道。両側には町屋ふうの造りの家が並ぶ、街道の雰囲気を感じさせる町並みだ。
だがこの町並みは江戸時代からのものではなく、近代にそれっぽく作られたものだとわかる。なぜそんなことがわかるのかというと、この2車線+歩道の広々とした道路は先ほどの法華寺の前あたりで突然狭くなり、1車線歩道ナシの一方通行の道路へと変わるのだ。
おそらくこの狭い道が本来の山陽道の広さで、戦争中も空襲を受けずに残った地割りなのだろう。
だがよく見ると写真左側は用地買収が進んでおり、遠からず2車線の広い道路に改修されそうだ。そして本来の歴史とは違うがいかにも街道っぽい町並みが作り出されるのだろう。そしてその経緯も50年も経てば忘れられ、ブロガーが「わーっ江戸時代にタイムスリップしたみたい」などと書くかもしれない。なので、旧態を伝えるため、少し多めに写真を掲載しておこうと思う。
これから向かう徳応寺の山門も石段がピカピカの新造で、道路から後退させるために移築されたものかもしれない。
そのさらに先の大乗寺の山門もあからさまに道路用地にかかっており、取り壊しか移築の対象になるだろう。
徳応寺山門はケヤキ造りで立派な袖塀つき四脚門。年代は江戸の末期から明治くらいだろうと思われる。
境内の敷地は全体が幼稚園になっていて、本堂前にも遊具が並ぶ。
本堂の右側には式台玄関付きの庫裏。
本堂の右側には「大悲塔」と書かれたパゴダ状の建物がある。中は位牌堂になっている。
山門の左右には幼稚園の園舎があり、境内には大きなクスノキがあった。
(2004年05月04日訪問)
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