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戦前まで町民に利用されていた石風呂で、案内板によれば西日本最古のものだというが、根拠が書かれておらず信憑性がいまひとつ。
江戸時代(1737)には1石5斗6升の課税されていたという記録があり、多くの人々に利用されていたという。実際に使われたのは戦前までで、現在は文化財となって保存されている。
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文化財指定はいいのだが、こんなふうに柵があるため間近で観察することもできない。
本来は使ってナンボのものなのに、遠巻きに見るだけなのは残念だ。たぶん今後も利用されることはないだろう。
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基本的な構造は先ほど見た家房の石風呂と似ている。
覆屋があるのは、文化財指定されたからではなく、おそらく利用されていたときからの造りだと思う。
一度に17人が入ることができ、あがったあとには別の湯に浸かって汗を流したという。
よく云われることだが、「風呂」は元は「風炉」と書き、江戸初期までは蒸し風呂のことを表わしていた。現在の意味の「風呂」は「湯屋」と言って区別されていたのだ。
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トイレかな。入口側に汲み取りがあるのは、古い間取りの証し。
修復はされているようだが、覆屋自体も江戸期までさかのぼるかも知れない。
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石風呂から少し山のほうへ行くと「延命の水」という湧水があった。
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そこから上がっていくと薬師堂がある。
単に隣にあるというのではなく、このお堂と石風呂は不可分な施設に見え、風呂と信仰が一体化していたのだ。
伝説によれば
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お堂の内部はお篭りできるような感じ。
ご詠歌を歌ったりサウナに入ったり、当時としては娯楽の殿堂という感じの施設だったのではないか。
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ご詠歌の譜面。
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境内には地蔵や観音などの石仏が多い。
左手の地蔵尊は「首無地蔵」と呼ばれている。
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そこからさらに少し登ったところには嫁いらず観音という石仏もあった。
「嫁いらず」とは、最後のとき嫁の世話にならずポックリと往生できるようにという願掛けをする観音のことである。
(2003年09月03日訪問)