吉井川を上流へと向かう。
吉井水門を過ぎたあたりから、川の両側に急に山が迫り、両岸には道路1本分の平地しかない谷に入っていく。穿入蛇行という地形で、川幅も狭くなる場所だ。
そこに寺の看板が出ていたので急きょ立ち寄ることにした。
参道には鳥居がある。
境内には寄進者の名前を刻んだ玉垣がある。信仰の厚そうな寺だ。
手前の屋根の下にあるガラス張りの物体はローソク立て。
この寺のメインの堂宇である、拝殿。
神仏混淆の寺なので、寺だけれども建物の構成は神社に近いので、神社の建物の呼称で紹介する。
社務所。
拝殿とは渡り廊下で接続している。
拝殿は内部が開放されていて、中に入って参詣できる。
拝殿の内部は地蔵格子で前後二室に区切られた密教風の構造。
格子の手前側にくくり猿や千羽鶴などの奉納物がみっちりとかけられて迫力がある。
格子の奥側の部屋にはサルの人形がたくさん奉納されている。
写真中央には払子のようなものを持った神像がいる。
扉の奥は、本殿へとつながっているのだろう。
なぜサルなのかは案内板を見てもよくわからない。
案内板によれば、この寺はもともと吉井川を往来する船頭が安全を祈願して、川の近くに建立した祠が元だという。最初に述べたとおりこのあたりは穿入蛇行で川幅が狭いので舟運の難所だ。
それが何らかの理由で山の中へ移転し、金剛童子と呼ばれるようになった。サルは青面金剛からの類推だろう。
拝殿と社務所の間を通って、拝殿の裏へ回り込んでみよう。本殿を拝見するためである。
もっとも私はお寺であっても、可能であれば本堂の裏側へ回り込むようにしている。庭園や位牌堂、開山堂などの堂宇が本堂の裏側にある場合が多いからである。
拝殿の裏側には一間社流造の本殿があった。
本殿は裏の崖の途中に建っていて、華奢な渡り廊下で接続していた。
本殿の下にもサルの石像。
こちらは三猿。
まだ新しい。
境内の全景。
縁日は4月4日千日詣、4月23日桜祭、7月17日夏季大祭、12月17日冬季大祭、毎月17日が月並祭とのこと。
(2003年04月28日訪問)