托鉢行列仏が並ぶカヤーセィッタートゥカ僧院の参道。その参道の途中に火葬場があった。
ミャンマーの田舎では、比較的細かい単位で火葬場が存在していて、これまでにも何度か目にしてきたのだが、移動の途中だったりしてちゃんと立ち寄れなかった。
今回は自分ひとりなので、ゆっくりと火葬場を観賞しよう。
火葬場の構成は、当サイトで「
引導場とは、火葬の直前に故人と遺族が最後の別れの祭事を行う施設だ。
実見したわけではないが、ミャンマーでもお寺から僧侶が同行してここで死者に引導を渡すようだ。
引導場はけっこう広く、100人以上の参列者がいても大丈夫そう。
コクメイ村で見た引導場には、棺桶を設置する台が広間の中央にあったが、ここではそのような設備は見当たらない。
奥の方にステージみたいな場所があるので、そこに置くか、移動式のテーブルみたいなものを持ってくるのかもしれない。
反対側は、渡り廊下で窯に直結している。
隣りには、似た構造の建物がもうひとつあった。
旧引導場の建物で、火葬場がダブルブッキングしたときの予備として残してあるのか、あるいは、仏さんが焼けるまでの待合所か。
窯の建物は高床式になっていた。
全体的に明るい色で塗られている。
日本でもかつては町村ごとに小さな火葬場があって、けっこう生々しい感じで火葬していた。煙突からうっすらと煙が立ち上るのを見て、「おじいちゃんはあそこから天国に登るんだな」みたいに素直に感じられたものだ。そこにはある種の風情すらあったと思う。
現代の近代的な火葬場は自動ドアで隔てられた窯になり、火葬という行為を近くに感じることができなくなってしまった。大半の人はそれを良いことだと思うのだろうが、私にはそんな実感のない火葬は逆に寂しい気がしてしまうのだ。
もっとも、いまどき煙の立ち上るような火葬場があったら、ものすごい迷惑施設になってしまい、人口密集地では建設できないだろうが・・・。
奥の左右に空間があるのは、燃料の投入などの作業場スペースだろう。
燃料は重油等ではなく、薪や木炭で行うのではないかと思う。火力から考えれば薪か。
長い棒が立て掛けてあった。焼き具合を調節するための火掻き棒ではないか。
(2015年04月19日訪問)
インパールで戦い抜いた日本兵 戦場に残った気骨の兵士たち (光人社NF文庫)
文庫 – 2019/9/21
将口 泰浩 (著)
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