ノゥトゥディ山脈西麓の観光は一通り終わり、エインドゥ町へと出た。先々週、賃織りをしている家を訪れシャンバッグをもらった場所である。その家を再度訪れ、日本から持ってきたお土産をお返しにプレゼントした。
エインドゥ町にはその家以外にもたくさんの家で賃織りをしている。
機織りはカレン州全体で盛んというわけではない。パアン市内や他の村でも、行く先々で人家の様子にはそれなりに注意を払っているが、あまり見かけない。
ここエインドゥは特に機織りをする家が多い、あきらかに機織りの町なのである。
何軒かの家に立ち寄って機織りを見せてもらったあと、たくさんの機が並ぶ
場所は、以前に紹介しているモン僧院のすぐ前である。そのときはお寺のほうに気を取られていて気がつかなかった。
高床の建物の床下や下屋に所狭しと機が置かれている。
前回紹介したのと同じように、タテ糸を巻いておく
エインドゥ町で見た高機はすべてこのタイプである。
この彼女はタテ糸を持ち上げる
ベテランなのかな。
綜絖をぶら下げる竿にアイドルの写真を貼ってリラックスして仕事をしていた。
細かい菱模様が連続しているので、綜絖の持ち替えの回数も多く根気がいる部分だ。
高機では織り手側に布の裏側が見えているので、実際の模様はこれをポジネガ反転した感じになる。
飛び杼の形状は、日本で見かけるものと特に違いはないように思うが、専門家が見たらなにか違いがあるのかもしれない。裏側も見ればよかったな。
丸いのはワックス。タテ糸のすべりを良くするのに使っていた。
機の後ろには大きなドラムがあって、そこからタテ糸が供給される。
このような高機はどこの国のものなのだろう。
ミャンマーはイギリスの植民地だったことから、イギリスの機なのかもしれない。
その横でタテ糸をドラム(ビーム?)に巻く作業をしていた。
このようにタテ糸を準備する作業を「
ボビンがたくさん刺してあるフレームを「クリール」という。大型の産業用織機の整経をするときに使う道具一式と似ている。
ボビンから出たタテ糸は、
「筬」というのは櫛の歯状の部品で、糸の並びの間隔を一定にする働きがある。
ドラムは大直径のうえ糸はかなり厚く巻かれているので、相当の長さの布が織れるだろう。産業機のような意味合いの織機なのだ。100m以上は織れるのではないか。
糸を機に掛けるには、このあと綜絖や筬に糸を通さなければならず、それは時間がかかる作業だ。綜絖通しはタテ糸の長さに関係なく、1回の機がけで1回するだけでいいわけだから、同一の模様の布を量産するのであれば少しでも長く整経するのは理にかなっている。
機を横から見たところ。
ペダルを踏むと奥側にある金属製の2枚の
糸綜絖の枚数はちょっと数え切れないが、20枚以上はあるのではないか。
糸綜絖の上に引っかける梁があり、手でつまみ上げてその梁のフックに引っかけてから、ペダルを踏むと模様を描くのに必要なタテ糸だけが上がる仕組み。
この機の糸綜絖は下げる方向には使えないみたいだ。
上写真の彼女が織っている布の仕上がり製品を見せてくれた。
カレンのロングエンジーである。エンジーは早い話、袋状の布に頭と腕を出す穴を開けただけの貫頭衣だ。
化学染料を使った鮮やかな色彩が好まれる傾向にある。日本人からみたら天然染料で染めて、もっと民族衣装っっぽくしたらいいのになどと思ってしまう。
敷地の奥にも小屋があり、たくさんの織機が並んでいた。
従業員の子供だろうか。
高床式の住居の上は織り子さんたちの寮なのではないかと思う。
おそらく町から遠い村から出稼ぎに来た子たちが、炊事、寝泊まりをしながら機織りをしているのだろう。
道路をはさんで反対側にはオーナーの自宅、兼、縫製所があった。
オーナーができ上がった商品を見せてくれた。
この家は織元だけでなく、中古家電の販売など手広く商売をしているようだ。
ショップではないので、雑然としているが、奥のほうに縫製用のミシンがあるのが見える。
色鮮やかなロンジー。
このような柄の面積が多い布は、パンチカードやコンピュータでタテ糸を上げ下げするジャカード織機という機で織っているのだと思っていたが、カレン州では手機だったのだな。
ショップで買ったら、たぶん2,000円くらいで買える。
さっき織ってるのを見せてもらった布で作られたエンジー(上着)。
4枚の金綜絖で織られているシンプルな縦縞。
工房には色鮮やかな糸がたくさん置かれていた。
仕入れた糸をここでボビンに巻いていたのだ。
(2014年11月23日訪問)
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