高稚蚕共同飼育所

ブロック造でありながら土室育のような通気孔の跡がある。

(群馬県高崎市吉井町高)

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吉井町はいまでは高崎市の一部だが、平成の大合併以前は「吉井町」という自治体だった。その吉井町の役場などがある中心街に近い丘の上に、(たか)稚蚕共同飼育所があった。

遠目には、よくある軽量鉄骨造のブロック電床育の飼育所に見える。

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北側が宿直室、南側は配蚕口になっていて、トイレは建物の外側にある。

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トイレへのアプローチは資材置き場になっていた。

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トイレの反対側の東側は宿直室になっていたようだ。

「農家の納屋に改造された、ブロック電床育か。甘楽方面によくあるパターンだな」

などと思いながら、建物の横を回り込んでみると、側壁の下部に見過ごせない補修の跡が!

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これは、「土室育」を「土室電床育」に改造したときにできる補修跡としか思えないものだ。

土室育(どむろいく)とは、木炭を燃やして室を加温する飼育設備であり、火を燃やすための通気孔を持つ。その後、電熱線による方式である土室電床育に改装されるときに通気孔を埋めるので、このような埋め跡ができるのが一般的だ。

ところが、この建物は「土室育」「土室電床育」のいずれでもなく、「ブロック電床育」という初めから電力を前提とした作りなのだ。だとすれば、通気孔があるのはおかしい。

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南側に回り込んで内部をのぞいてみると、完全にくり貫かれて農家の倉庫になっていた。構造は、ブロック積み壁構造で、小屋は軽量鉄骨トラス、屋根はスレート板葺きという、昭和30年代末ごろを思わせる構造。ただし、北側の宿直室が飼育室にめり込むようになっていたり、挫桑場の床がなさそうだったり、若干特殊な作りだ。

室が完全に取り払われてるため、ここが火力による飼育室だったかどうかはわからなかった。

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これまで、ブロック造で内部で炭火を使ったことが確認できたのは、祖母島北部稚蚕共同飼育所の1箇所だけである。しかし祖母島の建物は定型的なフォーマットから外れた外観だったので、実例としては弱いと考えてきた。

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むしろ、ブロック電床育でも土管による換気口を持つ飼育所があったと考えるべきなのかもしれない。

(2008年12月28日訪問)