恩行寺

境内の小堂に座棺輿が残されている。

(群馬県高崎市吉井町長根)

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天引川に沿った地域を見終わって、国道254号線付近まで戻ってきた。長根宿第1稚蚕共同飼育所を捜すが見つからず、捜索した付近に寺があったので立ち寄ってみた。

山門の横には長屋門ふうの建物が続いている。

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山門は薬医門。

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この門の小屋は梁の上に小さな束や筋交いがいくつもあるごみごみした作りで、少しやぼったい。

寺の門と言うより、どこかの武家屋敷か豪農の家の薬医門を移築したものではないかという感じだ。

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本堂は桟瓦を模したトタン葺き。

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本堂の右側には、玄関、庫裏、書院。

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本堂の左側には池があり、鎮守社っぽい堂があった。

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堂の中を見ると、なんと座棺輿がしまわれていた。輿の後ろには葬式行列で使う花カゴもある。この花カゴに硬貨を花紙で包んだ「オヒネリ」のようなものを入れて、葬送のクライマックスで参列者たちにばらまくのだ。参列者が争うようにそのお金を拾う。それが故人の功徳になるのだという。

そう言えば、私が最後に野辺の送りを見たのは大学時代で鏑川の上流の下仁田町馬山付近だった。赤の他人ではあったが、参列者の勧めで私も一緒にオヒネリを拾った。中には五十円硬貨が入っていたと思う。

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輿も花カゴもかなり状態がよい。もしかして、この辺りでは最近まで座棺による野辺の送りが行われていたのではないか。そう思って住職に話を聞いてみた。

残念ながら、最後に野辺の送りが行われたのは昭和40年代末だったそうだ。

座棺輿は故人を体育座りのようなポーズでお棺に納めるもので埋葬方法は土葬になる。最後に行われた野辺の送りは、つまり最後の土葬を意味している。

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住職によれば野辺の送りを含むような引導の方法を「露地式(ろじしき)」と言うのだそうだ。「露地式」自体は平成に入ってからも住職の葬式で行われたことがあり、二十五菩薩の幟などを飾った路地式が執り行われたという。ただしそのときでも棺桶をかついでの葬式行列はやらなかったとのこと。

この堂には二つの座棺輿が納められていて、奥の輿は少し小さいようだった。住職によれば、これは古い輿らしい。

なお、手前に見える厨子のようなものは、新築したの薬師堂の旧厨子とのこと。

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本堂の南側の山の中腹に峰薬師堂という堂がある。

恩行寺の前身は、薬王坊という庵だったとのことなので、案外この場所が恩行寺の発祥の地なのかもしれない。

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建物は最近建て替えられたようだ。

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付近には無縁仏を集めたコーナーがある。

仏像の形をした墓石や、将棋の駒のような形をした墓石が多い。おそらく江戸初期ごろの墓石ではないかと思う。

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薬師堂のあたりからは、吉井の市街地がよく見える。

(2008年12月28日訪問)