機足の集乳所

冷蔵用水槽、搾乳設備をもつ先進的な施設だった。

(群馬県富岡市上黒岩)

このサイトでは鏑川の支流、星川の流域をこれまでにも何ヶ所か紹介してきた。そのときの分類は「碓氷方面の稚蚕飼育所」の旅となっている。本来、星川流域は行政的には富岡市なので「下仁田・富岡・甘楽の稚蚕飼育所」の旅として紹介すべき地域である。だが碓氷方面の旅が、県道10号線を起点として移動した関係で、碓氷の旅の一部として紹介することになってしまった。これからまた星川に沿ったスポットをいくつか紹介するが、混乱を避けるためこれまでどおり碓氷のカテゴリに入れることにする。

富岡市上黒岩の機足(はたあし)集落。そのどことなく絹業と関係のありそうな名前の集落は、大きな蚕室が建ち並ぶかつての養蚕集落であり、以前にも紹介したことがある。

その集落の中を抜ける道に集乳所があることに気付いたのは、つい最近のことだ。

以前に紹介した場所からほとんど離れていないスポットを再訪するのはつらい。だが集乳所に関してはこれからも同じような状況が続きそうだ。稚蚕飼育所と集乳所はいずれも字ごとに作られるという分布や、集落の交通の便のよいところにあるという地理に類似点があるからだ。

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もっともこの物件、いま見ても、容易には集乳所だとは気付きにくい。道路よりも低い面に建てられているし、草に被われていて見えにくい。初めて見たときは人家の廃虚かと思って通り過ぎてしまった。

集乳所だと気付いてから、近くで聞き込みをして、現在この建物を管理している元酪農家の人に中を見せてもらった。

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この集乳所の場所には、昭和20年ごろに木造の集乳所ができ、現在の建物は昭和30年ごろにできた二代目とのことだ。

集乳所が道路より低い平面にあるのは、道路がかさ上げされてたからで、かつては建物は道路と同じ高さだったという。

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この集乳所には、これまで紹介した集乳所と異なる機能がある。それは、搾乳所を兼ねていたということだ。「ミルカー」という搾乳の設備を持っていて、この飼育所が出来た当時はまだめずらしかった。

この建物で左側の低いところが搾乳所で、右側の高いところが集乳所になっていた。おそらく、集乳室側は道路より高く、トラックの荷台から積み下ろしするためのプラットホームがあったのではないか。

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まず、集乳所のほうから見てみよう。

ぱっとみて分かるように、右手に水槽がある。これはこれまでに見てきた集乳所でも、半分くらいの施設には見られた特徴のある設備だ。

用途を尋ねたところ、想像していたとおり、牛乳缶を冷やすためのものだった。

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さらに、ここには電気で水槽を冷却するクーラーがあった。集乳所が廃止されたあと、業者に下取りに出したそうで、この写真の位置に据え付けられていた。

当時、近隣にはこのような高機能な集乳所はなく、富岡市内全体でもあまりなかったのではないかということだった。

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これが水槽の内部。

乳牛の搾乳は朝夕2回だが、乳業メーカーの回収は午前中の1回だけ。機足集乳所では、この冷蔵設備のおかげで、夕方に絞った生乳を集乳所に入れて朝まで保管することができた。

だとすれば、これまで見てきた集乳所で、水冷設備がないところは朝に集荷するだけの場所であり、水冷設備があるところは夕方から翌朝まで保管場所にもなっていたという機能の違いがあったのかも知れない。

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乳質を検査するための道具が残されていた。

左側のガラスのシャーレが並んでいる道具は、「アルコール検査」をするためのものだったとのこと。生乳にアルコールを加えると、質の悪い乳は凝固することで判別できた。そのほか、比重を調べることがあったという。

アルコール検査で陽性となった質の悪い生乳は「二等乳」とされ、安く取引された。

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この部屋には、ほかにミルカーの洗浄器と思われるものが残されていた。

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続いて搾乳所のほうへ行ってみる。

集乳所から搾乳所へは階段を下りるようになっていた。

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同時に4頭の牛をつなぐことができた。

もっとも、1頭の搾乳には乳房の洗浄やなんだかんだで30分くらいはかかったらしく、この集乳所を使っていた10戸の農家のすべてがこの設備を利用したわけではなかった。一頭飼いの農家は、手で絞って、牛乳缶だけを持参したと言う。

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当時最新の設備を供えていた先進的な集乳所だったとはいえ、朝夕の2回、家から牛を連れてきて搾乳していたというのだから、いま考えればずいぶんのんびりした時代だったといえるだろう。

その後、ミルカーは一般の酪農家にも普及して、この建物で搾乳することはなくなっていった。乳房の病気の感染などを考えても、ミルカーを共同で使用するのはあまりよいことではなかったように思われる。

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建物の裏側にはトイレも作られていた。

昭和30年代の後半には、この地域の酪農家は養蚕へシフトし、この集乳所が使われたのは昭和40年ごろまでだったという。その養蚕ももうこの地域には残っておらず、現在はコンニャクの生産が主流になっている。

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機足集落が生乳を出荷していた先は、甘楽酪農共同組合、通称「カンラク」という組合だった。

その集荷施設の跡が、近くにあるというので行ってみた。

現在は倉庫だけが残っていた。

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集乳所から集められた生乳は、この施設に集められたあと、明治乳業に出荷されていたという。

現在、富岡方面の生乳は、甘楽クーラーステーションに集められているそうだ。

(2013年07月14日訪問)