石合という字で見かけた飼育所。
高窓数は片側6個なので、左右で12個のムロの飼育所である。直線型の飼育所としては、ほぼこのサイズが上限であろう。
かつては、中で学習塾をやっていたようだ。
現在は何にも使われていない。
写真中央の背の低い小屋は更衣室と思われる。
小屋組みは木造。
妻の換気窓が回転窓になったしゃれた造りだ。
ブロック積みの上の部分に、40cmくらいの色の違って見える帯があるが、この部分はブロックではなく、おそらく鉄筋コンクリートではないかと思う。この帯状の部分を「
北側は道路に面していて、こちら側が貯桑場になっている。反対の南側には扉はあるが、軽トラなどを乗りつけることはできないので、配蚕は写真中央の水色の戸の出入口を使ったのではないかと思う。
また同時に、この戸から桑を搬入したのであろう。
この飼育所では、高窓のほかに、側面の下部にも窓のようなものがある。
ブロック電床育では、飼育室の構造上、下部には窓は造れないはずなので、この窓の存在は気になった。
南側には半地下の地下室があるが、ここは貯桑室ではなく、用具入れだったと思われる。
写真の中央で、ベニヤ板が破れて窓の中が少し見えているが、どうやらこの窓は最初からあったものではなく、あとから打ち貫いたもののようだ。ブロックを砕いた跡が生々しく残っている。
内部の様子。途中にある耐力壁と思われる壁を除いて、ムロの壁はすべて撤去されていた。これまでに見た飼育所には梁がムロの壁の上に載っている(写真の耐力壁のところの状況ような)飼育所もあったが、ここでは梁は敷き桁の上に載っていて、ムロには荷重がかからない。
これまで、小屋が木造の飼育所はムロは撤去できないであろうと想像してきたのだが、その判断は誤っていたかもしれない。梁が敷き桁の上に載っている場合は、耐力壁以外のムロの壁は撤去できるということがわかった。
敷き桁の外観については、あらためてこのページの2枚目の写真を見てほしい。
宿直室と挫桑場の様子。
挫桑場は床が抜けて、貯桑室に落ち込んでしまっている。
写真の左端に床に板が見えるのは、地下への階段のフタであろう。
(2007年02月13日訪問)
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