時間は5時を廻っていたのだが、もう一軒立ち寄ってから帰ることにした。
東観音寺は渥美半島の南側を走る国道42号線からちょっと引っ込んだところにある寺だ。実はこの寺の前の道は何度か通ったことがある。中京方面へのドライブで単調な国道1号線に走り飽きて、国道23号へそれたり、ぐずぐずと裏道を走っていたりするとこの道に出るのだ。そのわりに今まで一度も立ち寄ったことがなかったので、今回立ち寄ることにしてみた。
参道は広々としていて距離も長い。100mくらいはあるだろうか。
途中左手には塚があり上には鎮守社が祀られている。
山門は2階が吹き飛んだ楼門のような八脚門。
境内には幼稚園もあり、かなり開放的な感じの寺だ。
山門を過ぎると参道は二手に分かれる。
右側が多宝塔と本堂のある本堂エリア、左側が本坊エリアとなっている。先に本坊の方へと進んでみる。
本坊の方へいくと薬医門がある。
境内に入ると左手には校倉風のRC造の宝物館。
その先には
その先には池があり、方丈になっている。
方丈の左側には玄関、庫裏。
ここまでが本坊エリア。
本坊の右側には本堂エリアがあり、ここから移動することができる。理科で習った爬虫類の心臓のような構造と言えばいいか…。つまり2つの並んだ境内があって、一部で行き来できるという構造だ。本坊との境には薬医門がある。
本堂は特に文化財には指定されていないようだが、丸柱で室町風の建築。わりと古そうだ。
この寺はかつて海岸に近い場所にあり江戸中期に津波で倒壊し、この場所に移転した歴史を持つが、そのくらいまで遡るかもしれない。
本堂前には多宝塔がある。
やはり津波で移転してきた建物。国重文に指定されている。
こけら葺きでシャープな感じの建物だ。
多宝塔の前には、穴のあいたよくわからない建物があった。柱のような枯れ木のようなものが突き出ている。
近くには絵馬堂。間口1間、奥行0間の建物とでも言えばいいか…。
この堂の柱の下部の継ぎ方は初日に見た菅原神社の鳥居と同じもの。この地方で何度か見かけたものだ。
十三観音堂。この旅では本当によく見かけた。
本堂の前には鳥獣慰霊塔、それにウズラ供養之碑があった。
豊橋市周辺は日本最大のウズラ生産地であり、土地柄らしい供養碑といえよう。
こうして豊川・蒲郡の旅の最終日は暮れていった。友人は3日目はほとんど寝ていたし、私も少し疲れていて旅全体としてあまりたくさんのスポットを回ることもできなかった。
だがこの旅で三河湾は思いのほか居心地のよいところだとわかった。横浜まで一般道をのんびりと走りながら、近いうちにこの旅の続きをしようと考えていたのだった。
(2001年10月08日訪問)
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ムック – 2021/1/29
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