宝塔山古墳

一辺54mの巨大方墳。横穴式石室が開口。

(群馬県前橋市総社町総社)

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群馬県は近畿、北九州とならんで古墳の多い地域である。そのなかでも総社地区のある榛名山の東麓は特に古墳の密度の高い地域だ。光巌寺の周囲には二子山古墳、愛宕山古墳、宝塔山古墳、蛇穴山古墳という4つの古墳がある。形式は前方後円墳、円墳、方墳と、バラエティーに富んでいて、石室はすべて開口して自由に内部を見学することが出来る点でお勧めの見学コースといえる。

その一つ宝塔山古墳は、光巌寺のすぐ隣にある。

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墳丘は一辺が54m、高さ11mで方墳としては大きいほうだ。

墳丘には黒松が生えていて、私は幼少時代にこの古墳で松葉すべりをして遊んだ記憶がある。

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宝塔山古墳が作られたのは8世紀のはじめ、つまり奈良時代のはじめごろということになる。8世紀といえばすでに群馬でも仏教寺院が造営されていた時代である。一般に「古墳時代」というのは7世紀までといわれているので、関東ではかなりあとまで古墳が造られていたということだ。

時代が下るので石材加工や土木技術が進歩していて羨門も立派だ。

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羨道(せんどう)(=石室へ行くまでの通路)の切石積みをみても高度な加工技術がわかる。

石室の深さは約12m。

玄室(げんしつ)(=遺体を安置する部屋)には家型石棺が置かれている。石棺の下部に見られる香狭間のような意匠は仏教の影響とされている。

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玄室まで入ると中は真っ暗で、懐中電灯なしで石棺の周りを一回りするのはちょっと勇気がいる。

私が地下霊場とか洞窟が好きなのは、子供のころこんなところで遊んでいたからかもしれないと思うことがある。

(2002年05月05日訪問)

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