生口島から三原市へとフェリーで移動。その三原市の山奥にある臨済宗仏通寺派の総本山が仏通寺だ。
寺へ行く道は、旧山陽道。昔の街道は不思議に山の中を突き抜けているときがある。国道2号線と離れて山中を通っていた旧山陽道は、この仏通寺の前を通って沿岸部へと向かうのだ。
堂は無数にある。詳しくは上図を参照して欲しい。とにかく広いので、川の上側と川の下側で2ページにわけて紹介する。
駐車場から本坊へ向かう途中の道。紅葉の季節などは込み合いそうだ。だが耕三寺からの移動に1時間半を要し、時刻は既に6時に近い。当然、観光客はゼロ。広大な寺域を独り占め状態である。
この寺の特徴は二つの
そのひとつ「
屋根付橋は初出だが、まあ、見たとおりのものだ。屋根がかかっている橋である。
関東などでは1県に1カ所あるかないかという珍しい橋だが、どういうわけか広島には特に多く分布している。あとになって思ったことだが、今回の旅では仏通寺訪問は蛇足だったかもしれない。後に“広島の屋根付橋巡り"をすることになったのだが、今にして思えば、仏通寺はその旅のルートに含まれるべき寺であった。
もう一つの屋根付橋「
それにしても一つの寺に2つの屋根付橋があるとは贅沢すぎ。
巨蟒橋を渡ったところに本坊の山門の四脚門がある。
門扉は閉まっていた。時間が遅かったかとあきらめかけたが、よくみると境内の右の方から自由に入ることが出来た。山門は常に閉まっているようだ。
山門を入ると、やや軸線の左側に宝蔵がある。案内図には「宝蔵」と書いてあるが、これはどう考えても世間で言う「仏殿」だろう‥‥。
一層の部分が妙に高く、2階部分には多宝塔の亀腹のような構造をもった変わった建物だ。
宝蔵の後ろには大方丈。これも世間的には「
通常の禅宗の伽藍では、仏殿の後ろに法堂、その後ろに
境内はとても厳かな雰囲気だ。なにしろ、いまでも修行僧がいる超硬派な禅寺なのだ。
だが、その一角に五百羅漢奉納コーナーがあった。田舎のさびれた檀家寺が資金集めにやってるような雰囲気のもので、硬派な禅寺には似合わない感じだ。
五百羅漢法のコーナーの手前には土蔵造の地蔵堂。(伽藍配置図に載ってないが、場所は宝蔵の左下のあたり)
かつては経蔵として使われていたのかも知れない。
境内にはほかに袴腰鐘楼、水盤舎など。
境内の左奥には、渡り廊下が続いていて、僧房があった。
おそらく立ち入り禁止であろう。
修行僧が回廊を渡っていった。
(2001年05月03日訪問)