沼隈町の地図を見ていると、どうしても捨て置けない表記がある。それが「みろくの里」である。寺のようなのだが、伽藍の一つ一つが地図上に表記されているほど境内は広い。
行ってみると入口には「みろくの里・ゆうえんち・いつかきた道」という看板が。
入口を入ってしばらく道を進むと、パステルカラーの建物が現われる。どうやらここが遊園地の入口のようだ。「いつかきた道」というのは昭和のレトロな町並みを再現したアトラクションらしい。「いつかきた道」なんて聞くと、戦前回帰のような不吉なイメージしか浮かんでこないのだが‥‥。
嵐のためお客がまったくいなかったので、遊園地がどのくらい栄えているのかはよくわからない。ただ、建物の感じなどからしてさびれているという雰囲気ではない。
遊園地を通りすぎて、さらに境内の奥の方へ進んでいく。
途中、ホテル、野球場、サッカーグランドなどの施設が続く。
それにしても恐ろしく巨大な寺(?)だ。比叡山や高野山のように多くの寺が集まった場所は別として、単一の寺としては日本最大級の寺なのではないか。静岡の大石寺より広いような印象だ。
グランドを過ぎると巨大な五間五戸二重門がある。鉄骨造。
山門としても日本最大級のものと思う。
左右には山廊がある。
山廊からは階段が伸びていて、楼上に登れそうだ。
山廊は閉まっていたが、階段部分のガードは緩そうなのでその気になれば登れそうだった。
山門からまた車で山の中の道を進んでいくと、車がたくさん停まっている場所に出た。ここが弥勒の里神勝寺の中心部か。
そこには大きな温泉があって、人がひっきりなしに出入りしている。なんだか、部外者が来ては行けない空間に来てしまったような孤立感に臆してしまって、これ以上近づけなかった‥‥。
駐車場の奥のほうに大きな建物がある。案内図によれば、これが神勝寺の仏殿である。
温泉の西側の山の上に多宝塔があるという説明があったので、車で移動する。建物と建物のあいだはけっこう離れているので、車で移動したほうがいい。
築40年くらいか、新しそうな多宝塔だが姿はよい。
境内には他に、開山堂、座禅堂、護摩堂などがあるようだが、確認はしなかった。
上図は仏殿の壁に貼り出されていた伽藍配置図。
左奥にの無明院という寺(神勝寺本堂か?)に行ってみることにした。図の開山堂の裏の道を通って向かう。1kmくらい山道を走ると、無明院の裏口のようなところに到着した。
表の方にまわってみると山門があった。四脚門。門を入ると広い石庭になっている。
正面は本堂。本堂の左側には衆寮。
このあたりには誰もいない。
本堂の右側には講堂(?)。巨大である。
そして講堂の床下になにやらプレハブ小屋のようなものが並んでいる。
プレハブの内部は個室の座禅ルームになっていた。信徒が集団で研修などをするのだろうか。
帰りがけに信徒と思われる人がいて、宗派は臨済宗で、建仁寺の末寺だと教えてくれた。旅行で来ていると話すと、弥勒の里内のホテルが安いから泊まったらどうかと勧められた。親切な感じのひとであった。
弥勒の里を見終えて時刻は4時。普通ならまだまだ何カ所か廻れる時間だ。だが今日は天候も悪いので早めに投宿しようと尾道市へ向かう。それに宿が見つかれば日暮れまで少し市内散策でもしようかという腹もあった。ところが尾道駅前の旅館案内所で聞くと、市内の民宿はどこも一杯とのこと。しかも観光地だけあって値段も高い。しかたなく隣の三原市へと向かうが国道2号線が大渋滞。これでは次の日に尾道へ戻るのにも思いやられると引き返し、逆に福山市まで戻る。
福山市と尾道市のあいだは高速道と見まがうほどのバイパスが通じていて、車で飛ばせば20分くらいの道のりだ。結局、明王院から近いビジネスホテルに投宿した。このホテルは部屋に無料のインターネットがあり、パソコンでこの4日間の世間の出来事をチェックできた。旅を続けているとニュースから遠ざかってしまうので、これは助かる。夜、夕食を食べに出かけるがこれといった店が見つからず、この日の夕食はラーメンとなってしまった。
(2001年05月02日訪問)
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北海道から九州、各地方から計12軒の現役の宿と、廃墟となってしまった宿1軒を掲載。 全82ページ
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