熊野神社

神仏分離で五流尊瀧院から分れた神社。三重塔がある。

(岡山県倉敷市林)

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そういえば、五流尊瀧院には三重塔があるってはずだったが見当たらなかったなぁ。なにかの思い違いだったか‥‥まあいいや。と、帰りかける。(けっこういいかげんである。)

途中で熊野神社という神社を見かけたので立ち寄ってみる。すると、三重塔や五流尊瀧院の主流伽藍は神社の境内にあったではないか。考えてみれば五流尊瀧院の修験道は熊野権現信仰を元に発展したものだから不思議ではない。

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まったく、たまたま帰りに熊野神社方向の道を通ったからよかったものの、あやうく主要伽藍を見逃してしまうところだった。

つまりかつての旧五流尊瀧院は神仏分離令で神社的要素の部分が熊野神社に、寺院的な要素の部分が五流尊瀧院に分離して2つの宗教法人になったのだ。

三重塔は江戸後期のものとされている。屋根の深さや厚さに備中国分寺の五重塔と似た印象を受ける塔だった。

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神社の長床(ながとこ)。

長床とは神社で信徒が集会したり、修行したりする場とされていて、修験道とかかわりの深い建物である。

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境内には五棟の社殿が横一直線に建っている。

向かって一番左は三間社流造(さんけんしゃながれづくり)。つまり正面三間の流れ造ということ。

続いて春日造の社殿が二棟続く。

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二棟ある春日造の社殿の右側の一棟は室町中期の建物で国重文。他の社殿は県文ということである。

五棟とも立派な檜皮葺きの建物だが、確かに中央の一棟は他より古い感じがする。

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さらに右側には四間社流造の社殿が二棟建っている。

その奥に少しだけ屋根が見えている小社は一間社流造の地主神社でやはり県文。

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熊野神社参道は今では樹木が生い茂っているが、かつては僧房が軒を連ねていたのであろう。

もしかしたら左写真の場所にも築地塀が続いていたかもしれない。そんな想像をかき立てる参道だ。

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今も残る子院のひとつ真浄院。

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その隣にあった子院。名前は失念。

地図によれば、五流大仙智明大権現堂か(?)

(2001年05月01日訪問)