再び行政区分は邑久町にもどる。余慶寺(よけいじ)は邑久町の西端の本当に端にある寺。下の写真はその全景だが、手前の人家は岡山市、丘陵地帯が邑久町という区分けになっている。奈良時代に創建、平安時代に中興されたとも言われる古刹で、現在でも6つの子院が残る。
「あー、岡山ってなんて無造作に名刹があるんだろう。」これが余慶寺を見た第一印象だ。遠目にも美しい景観でぜひ保全したいところであるが、実はこちらから見えない山の裏側や邑久町側の平地には新興住宅地が造成されていて、いつまでこの景色が見られるのかはわからない。
参道は南斜面にあり、車で山頂まで登ることができる。歩行者用の旧参道には山門の八脚門があった。
そして境内。
「この写真は何が写ってるの?」と思われるかもしれないが、この境内がイイのだ。
これが余慶寺のあるがままの姿。三重塔や重文の本堂の近影をいくら見ても、余慶寺の実像はわからないのである。だだっ広くて自動車で通り抜けることができる。両側は桜並木で塔頭寺院が並んでいる。これが余慶寺なのである。
周囲には塀などの境界はない。なにしろ山頂全体が余慶寺なのだから。
左は境内図。塔頭群は以後のページであらためて紹介するので、まずは余慶寺本体の伽藍について見てみよう。
時計回りに順に紹介してゆく。
袴腰鐘楼。2間×3間の巨大な鐘楼だ。正面に唐破風がついているというのも鐘楼としては珍しい。
本堂。
室町時代の建物で国重文という。
が、この建物を見てそれと見切れればかなりの眼力の持ち主といえるだろう。正面の唐破風は明らかに後補のものであり、一見して室町の建物には見えない。
三重塔。江戸後期の建築である。
各階の逓減率は大きいが、階高がやや高い気がする。
三重塔の奥には薬師堂がある。
鎮守社(?)の豊原北島神社。
子院の続く小路。
坂の先には岡山市西大寺の町並みが見えている。つくづく「あるところにはあるものだ。」と思い知らされる風景である。
これでこの日の観光客は私ひとりなのだから、岡山は私にとって夢のようなところなのである。
(2001年04月30日訪問)
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