牛窓は江戸時代に参勤交代や朝鮮通信使の寄港地として、かつては牛窓千軒といわれるほど繁栄した港町である。
・・・というような事が私が持っている観光ガイドには書かれている。
これを読んで牛窓を訪れれば、古い商家が続く町並みにまるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になれるだろう。
だが、一般の人々が江戸時代的だと思っている民家は、実は明治あるいはそれ以降に建てられたものである場合が多い。詳しく調べたわけではないが、おそらく牛窓が繁栄したのは明治ではないかと想像する。
あまり知られていないことだが、歴史の教科書で江戸時代のページに出てくる「千石船」が海上輸送の主役の座を動力船に譲ったのは明治中期以降である。
江戸時代に廻船の寄港地として地位を築いていた牛窓港は、おそらく明治時代の大半を通じて江戸時代以上に栄えたはずだ。
しかし動力船の登場によって風待ちや潮待ちをせずに遠距離輸送ができるようになると牛窓のような中継地はその役割を失う。その変化は10~20年という短いスパンで起こったのだろう。あたかも瞬間冷凍された魚介が鮮度を保つように、牛窓の町並みもその繁栄期の姿のまま凍結されてしまったのだ。
なので、現在の牛窓の風景を作っているのは商家のしもた屋だ。
さびれたようにしか見えないが、変な町おこしでにぎわうよりずっといい。大量生産された民芸風土産物を売る店や、何の稼ぎで生活してるのかわからんような若者が営業するカフェだらけになったハリボテ文化より、こういう町並みが好きだ。
格子戸のある洋品屋さん。
営業してるのかな?
現在の牛窓の町並みには、黒く表面を焼いた板壁になっている民家が多い。焼き杉という板で、おそらく潮風で傷まないようにする工夫なのであろう。
この壁を触ると手が炭で真っ黒になる。
狭い路地の両側が焼き杉板だったりすると、キモノとかちょっと良い服を着て通るのが怖い。
迷路のような路地がいたるところにある。
路地が牛窓の魅力でもあると思う。
井戸のある路地。私が見た牛窓の路地で一番のお気に入りの場所。
井戸の脇にある水神の小祠や、曲がりくねって続く坂道はまるで綿密に設計された絵画のようだ。この風景が意図せず作られたものだというのは信じがたい。有名な路地なのだろうか?
井戸は水をたたえていて実際に使えそう。
巨大な商家。
ナマコ壁の土蔵がいくつも連なっている。
大正ごろに建てられたと思われる旧中国銀行の建物。牛窓の町並みで“比較的新しい"遺物である。
ところで、左側にある八百屋(?)で不思議な光景を目にした。それは写真の右側にわずかに写っている小屋である。
その小屋は町の辻にあって、その隣にはお稲荷さんがある。
この小屋にはプロパンガスや水道があって、どうも左側の八百屋さんの家の炊事場になっているようなのだ。なんと冷蔵庫も置かれていたりする。
家の外で炊事をするという習慣があるのか、あるいはもともと共同の炊事場だったのか。浅学のためこれが何なのかはわからなかった。
町内の随所には路地裏に井戸があり、そこは井戸を中心として猫の額のような小さな広場になっている。
かつては文字通りの井戸端会議が行われたのであろう。路地に縁台を出してくつろぐ老人の姿があった。
造船所の看板を出した家。
町外れには造船所がいくつもある。
その海側。
これもかつて風待ち港として栄えた名残なのだろう。
(2001年04月30日訪問)
