川原湯神社

入り母屋妻入り茅葺きの社殿。2001年4月焼失。

(群馬県長野原町川原湯)

合宿の1日目、夕食までにはまだ時間があるので、宿の周辺を散策する。あまり遠くへは行かず、宿の付近をぶらぶらする。最初に温泉街を上りきったところにある川原湯神社に立ち寄った。 

この川原湯神社、私が訪れた1週間後の2001年4月9日の午後2時頃、祭りの後片づけの焚き火が燃えうつり全焼したということである。

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入口の鳥居の付近。この鳥居のあたりがダム完成後の最高水位になるらしい。

鳥居を入ると温泉の源泉があり、湯気がもうもうと立ち上っている。源泉には竹かごが置いてあり、玉子を持参すれば自由に温泉卵が作れるようになっている。

その他、境内には町内の他の場所から移したと思われる馬頭観音や双体道祖神などがある。

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神社は鳥居よりも少し高い所にあるから水没は免れるはずであった。

拝殿は入母屋妻入りで、向拝がついている。無理して言えば中山造と呼ばれる形式か? 間口3間、奥行き4間半。正面1間は吹き放ち。拝殿の後ろ奥に覆屋(本殿?)があった。

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創建は1814年とされている。建築的には、尾垂木や虹梁の意匠からみて、いかにも江戸後期という作りであった。その後近年の補修と思われる新らしい部材も見受けられ、建物はよい状態が保たれていた。茅葺きの屋根は昨年一千万円をかけて吹き替えたばかりであったという。

実はこの日、神社に詣でたときには写真を撮らなかったのだ。だから近影はない。このあと付近を散策し、旅館への帰り道でふと思い立って遠景を撮影した。「せっかく来たのだから写しておくか」‥‥その程度の気持ちで写したものだ。それが神社の最後の様子を伝える写真となった。これも何かの縁というものであろう。

そもそも私がお寺巡りにハマる原因となったのも、高校時代に近所の枝垂れ桜で有名な寺に友人と写真を撮りに行き、その1週間後にその寺が焼けたという事件がひとつのきっかけになっている。私はその寺が焼けたと聞いたとき、直前に訪れていたにもかかわらず「まだ充分にその寺を見ていなかったのに」という心残りを感じた。自分がいかにものを見ていなかったかを知ったのだった。火事を憎む気持ちよりも「どんなものでもなくなる前に見ておかなければだめだ」という無常観を高校生なりに抱いたのだ。そして今日の私がある。

ここでまた同じような体験をしたが、今回は口惜しさは残らなかった。やはり形あるものはいつかは消えるのだ。今回は自分なりに川原湯神社の最後の姿を充分に看取ることができたのだと思う。

(2001年03月31日訪問)

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西 和夫 (著)

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寺院建築の架構が最も理解しやすく書かれている本だと思います。