
宗祇水の名前は室町時代の連歌師宗祇の庵がこの近くにあったことに由来するという。だいたい名のある名水には何らかの伝説がつきものだが、宗祇水は由来も歴史的だし語呂も洒落ている。
入口には飴屋があり棟門が建っている。

そこからは土蔵の続く細い石畳の路地を下りてゆく。色々な日本の町並みを見てきたが、ここほど縦の構図が似合う風景もないだろう。
ここに比類する場所として愛知県足助町の「マリリン小路」と呼ばれる路地があるが、坂の傾斜といい、湧水へのアプローチという目的性といい、こちらに軍配が上がるように思う。(マリリン小路は奥まった生活路で、本来は人通りのあるような路地ではない。しかも片側の蔵は修景。)

宗祇水を銘水中の銘水たらしめている要因はその水質ではなく、それを取り巻くロケーションなのだということがよくわかる。
ここは名水見学というより、空間そのものを見学すべきなのだ。

水神の小祠の下から水の湧く構図は風情と言うよりも、むしろドラマチックという表現のほうがふさわしい。
GW中の平日ということもあってか観光客はまばらだったが、それでも人が写らないように撮影するのは大変であった。デジカメを構えた観光客が、順番に場所をゆずって撮影するという浅ましい光景が現出してしまった。
ところでこの宗祇水では1杯を口に含んだだけで、それ以上水を飲む気が起きなかった。周りが綺麗に整備されすぎていて、口をゆすいだ水を吐き出すのもためらわれるような雰囲気だったからだ。

湧水の前は小駄良川という川で、朱の橋が架かっている。ちなみに川は生活排水でかなり汚かった。
さて一通り見学してみての感想だが、現在の宗祇水はすこし整備されすぎている気がする。水船の石枠などは新品の御影石だし、石畳やぴかぴかの水神祠もすこしわざとらしい感じがした。だから私の友人は大したことないと言ったのだと思う。その友人はいかにも観光化された場所はあまり好きではないのだ。
あまり綺麗に整備されすぎると、湧き水の神秘性が薄れて、なんだか公園の水飲みみたいになってしまうのだ。20年前くらいに来れば良かったのだろう。同じような例では福井県の越前大野に「お清水」という名水があり、昔は汚いような水場だったが最近綺麗に整備された写真を見て悲しくなってしまった。
(2000年05月01日訪問)