赤坂火の見櫓

経済的であっさりした江戸風の意匠に好感をもてる。

(岐阜県大垣市赤坂東町)

このサイトの索引に「火の見櫓」というカテゴリを追加したとき、漠然と対象とする火の見櫓は古いものだろうと考えていた。そもそも火の見櫓というものは最近あまり新しくは作られないし、観光地などに再現された時代掛かった物見はいかにもあざとくて面白くないからである。今の時代に江戸時代をイメージしてランドマークとして建てられた観光火の見は、どんなに年月を経てもそのあざとさはなくならないのではないか。しかし逆に近代的な材料や技法を用いた火の見櫓は、もしかしたら百年を経ずに郷愁の対象になりうるのではないか、とも思う。それはその火の見が必要とされて作られた生きた建物(?)だからだ。

建築は使うために作られ、使われながら壊れたり改修されて時を経てゆくのが自然だと私は思っている。だから電線を地下に埋めて江戸時代の町並みを再現してみたり、家財道具を取り払ってがらーんとした古民家を展示したりするのは、街や家が生きてきた時間を抹殺してしまうようでいただけない。そうなってしまった街や家はもう時間の流れを積み重ねることはできず、ディズニーランドのシンデレラ城のように実在しないファンタジーの投影物として存在し続けるだけだ。

写真

さて、前置きが長くなってしまったが、これは赤坂河港の近くにあった火の見。中仙道の宿場町ということもあって、一応は古風なイメージに仕立てられている。しかし建築の目的はランドマークというよりも、消防ホースを干したり防災無線のために必要とされて建てられた(建て替えられた?)という感じがある。

デザインも古式にのっとるのではなく適度に今風のアレンジがされており、今手に入る材料と、現代の経済感覚の範囲で作られているというところに好感を感じた。

いつの日かこの火の見が風景に溶け込んで、郷愁とともに平成時代を懐かしむ時がくるのであろうか。

(2000年03月18日訪問)