大口町の桂林寺がある付近は堀尾跡(ほりおぜき)と呼ばれる字で、桂林寺の西側には室町時代の館跡がある。
その裏手には裁断橋という橋があり、公園になっている。
裁断橋のいわれは、その昔横堀金助という武士が小田原に出陣するとき、母がこの橋まで見送って戦勝祈願をしたが、金助はその甲斐なく戦死。母は子の供養のために私財を投じてこの橋を改修したという。
現在の橋は復元である。公園では高校生たちがスケボーの練習をしていた。公園の周辺は川の堤に沿って桜が植えられていて花見の季節にはよいだろう。
ただ、川はすごく汚なく目をそむけたくなるありさまだった。粗大ごみが投げ込まれていたり、水も生活排水のために巨大なドブ状態だ。今回の旅では濃尾平野を見て回ったが、小さな川から大きな川までひどく汚れていたのが目に付いた。愛知県の人達はあの川を見て何も感じず暮らしているのだろうか。万博誘致などという時代錯誤なことをしている場合ではないと思うが。
(2000年03月18日訪問)
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