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榛東村にお住まいのT氏が件の奉安殿風忠霊塔について調べてくださった。
結論から申し上げると、残念ながら、あの「英霊廟」は、「奉安殿」の移築ではなく、昭和28年に新築されたものでした。
新設工事設計書および契約書によると、昭和28年1月15日着工、同年3月15日完成予定、建設費は645,000円(実際には30,000余計にかかっているようです)。日本土建株式会社(前橋市)が設計・施工しています。発注者は桃井村(現在の榛東村北部にあたる)で、群馬県に技術員の派遣を求めていますから、設計書のチェックなどを県職員に依頼したと思われます。資金の一部は、遺族や退役軍人会などの寄付金によるもので、土地は柳沢寺からの提供です。
同年5月22日に、群馬県知事、近隣町村長、遺族会関係者など(おもしろいところでは、前の年の10月に初当選したばかりの福田赳夫、のちの内閣総理大臣も来ています。予定表に名前はなく飛び入りだったか?)などを来賓として招き、372名(記帳者のみの数)が参加して除幕式がおこなわれています。
来賓に配られたお土産は風呂敷と饅頭4個、一般参加者には茶筒。来賓のお包みは2000円~500円。折り詰めの発注書などもあり、花火、掛合漫才、舞踊、鶴若、音楽などのプログラムが組まれていましたので、1日楽しめるようなイベントだったのではないでしょうか。
このとき、彰忠碑が桃井(新制)中学校校庭より掘り出され(米軍駐屯を前に、三八式歩兵銃などとともに校庭に埋納されていたようです。)、英霊廟に隣接する現在地に移されたとのことです。この作業及び、敷地の整地工事は、勤労奉仕(出役)依頼文が残されていることから、村民の手によると推察されます。
「英霊廟」の名称につきましても、10くらいの候補の中から、各地区ごとにアンケート調査をおこなって決めたようです。
このように、「英霊廟」の建設は、桃井村あげての大イベントだったといえますが、現在、このことをちゃんと覚えている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
なお、現在自衛隊演習場となっている相馬ヶ原(榛東村南部(旧相馬村))が、米軍より全面返還されるのは、昭和32年ジェラード事件の悲劇の後、昭和33年になってからのことです。
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